DO YOU SPEAK ATLAS?

水曜日, 11月 17th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第32話

年の瀬が近づいてきた。由起夫君は、せわしいこの時期が結構好きである。毎年1229日まで仕事をして、年末年始を迎えるのが、彼の職場の決まりになっていた。残りの日数で家の窓拭きをするのが、彼の家庭内での役割分担になっている。すべてをやり切った末あとの大晦日の晩は別格である。爽快感と新年に対する期待感の入りまじった気分で、年末のテレビ番組を鑑賞するのが、彼の習慣なのであった。

マンツーマンレッスン75回目にして、由起夫君は今年最後のレッスンを受けていた。講師はクリスティーナである。

「TOEFLの結果が返ってきたよ」

由起夫君はそう言った。彼にしてはまずまずの成績だったようである。

「あら、そう。それで何点だったの?」

クリスティーナに尋ねられ、彼は応えた。

496点」

彼は前回よりも、70点アップしていたのだが、本人はさほど満足はしていなかった。550点にはまだ遠いと思っているらしい。

「いつか600点を超えたいと思っているんだけど、まだまだダメだね」

「そう。それは残念だったわね」

クリスティーナはそれほど関心がなさそうである。TOEFLといえば、所詮学術英語を習得していることになるのだが、Atlasマンツーマン英会話の講師も各々個性があって、クリスティーナはTOEFLを教えたりはしていなかった。彼女はいわば横浜ラーニングスタジオの保母さんのような存在になっていた。

「それじゃ、レッスンを始めるわね」

クリスティーナはそう言って、テキストの34章を開いた。ここでは、「私はかつて、よく~していたものだった」という会話表現をマナブことになっている。

「それでは、このフレーズを使って何かしゃべってみてください」

クリスティーナはそう言って由起夫君の方を見た。

「私は、小学校の頃によく本を読んでいました」「私はよく、大学に通っていました」

彼は気のきいた台詞が思いつかず、首をかしげながら言った。

5年ぐらい前に」

思い出したように彼が付け加えたので、クリスティーナは笑った。

「どこの学校に通っていたの」

「東京にある大学だよ」

クリスティーナに尋ねられて、彼は応えた。由起夫君は2つの大学に通った経験を持っている。しかし学歴については、彼には複雑な思いがあったので、彼はこうした話題を語るのには、いつもためらう癖ができていた。

「ここから東京に通うのでは大変ね。どうやって通ったの?」

「東西線に乗って通っていた。これが一番安いし、乗り換えなしで大学に着けるんだよ」

東西線とは、首都圏内の営団地下鉄線の一つである。東西に延びている所から、こうした名称がつけられたのだろう。

「クリスティーナはどこの大学に通っていたの?」

「それは秘密(笑)」

彼女はそう言って沈黙した。由起夫君はオーストラリアの大学に関しては疎かったが、彼女の雰囲気から、それとなく察することができた。


水曜日, 11月 10th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第31話

11月中旬になった。由起夫君の苦手な寒い12月ももうすぐである。彼のIT事務所はそんなに大きくなかったが、それでも暖房の効く室内業務なので、彼は防寒対策についてはそんなに考えないでいた。普段はジーンズとシャツでジャケットを羽織っていた。彼の職場の上司は少々チンチクリンで、12月になるというのに暖房も入っていないのに、半袖で仕事をする強者である。

「おや、由起夫は寒いのか?こんな涼しいのに」

これが彼の上司の口癖である。由起夫君はいつも自分はほ乳類ではなく、は虫類か何かの生命体ではなかろうかといぶかっていたが、一応手足が2本ついているので、やはり人の生命体なのだろうと思ったようである。

マンツーマンレッスン73回目、彼はデレックのマンツーマンレッスンを受けていた。テキストの中で、軍人募集の章があるのだが、軍曹と志願者の会話のやり取りが実に滑稽なのである。

「それでは由起夫君、今度はあなたが、不動産業者だったとして、会話を行なってください」

デレックにそう言われ、彼は考えている。もちろんデレック顧客の役をやるのだろうと思った。由起夫君はしばしの沈黙の後、口を開いた。

「ようこそ当社へ。何かお手伝いできることはありますか」

「あの~、部屋を探しているんですが」

「どういった物件をお望みですか?」

そう聞かれて、デレックは迷っている。たいした演技である。

「お一人でお住まいですか?」

「いえ、妻がいますけど」

「そうですか、ちょっとお待ちください」

そう言って、由起夫君はテキストを開いた。彼は物件の資料を調べるふりをしている。

「あ、これだ。この3LDKのマンションなんかはどうですか?」

「場所は何処ですか?」

「横浜市ですね」

「駅からどのくらいかかりますか?」

「徒歩で約15分ほどです」

「それじゃ、ちょっと遠いですね」

「そうですか。それではまた少し待ってくださいね」

由起夫君はまた資料を調べるふりをしている。どうみても大根役者だが彼は続ける。

「あ、これだ。この2LDKのマンションなんかはいかがですか?」

「場所は何処ですか?」

「川崎市です」

「駅からどのくらいですか?」

「自転車で3分ほどです」

「それはいい。ではそれに決めます」

「ありがとうございました」

家賃や敷金、礼金といった肝心な事柄に関しては、全く述べていない。彼はどうやら、そうした事柄まで頭が回らなかったようである。

「はい、なかなか良かったです。23注意事項があります」

そう言ってデレックは、文法的な誤りを指摘して、ペーパーに書いて見せた。

「以上のことに注意して、今度は話してみてくださいね」

60分のマンツーマンレッスンが終わり、彼はレッスンブースを退出した。」由起夫君は満足気である。しかし実際の不動産業は、そんなに甘くはないのではなかろうか。

数日後、彼は代行講師としてクリスティーナのマンツーマンレッスンを受けた。クリスティーナは若いが勤続年数が長いので子供の生徒の心を掴むのが上手である。由起夫君も入会して9カ月が過ぎ、長年勤めている講師と新任の講師との区別がつくようになってきた。年季の入った講師であれば、生徒に合わせて様々な話題を提供することができる。先輩の講師でも転職しょたばかりの講師だと紋切り型のレッスンをするのが普通である。その辺はやはり実力がものをいうらしい。世間とは無情なものだと彼は思ったようである。

クリスティーナは、付加疑問の章を選んでレッスンを始めた。

「付加疑問では、最後に動詞の否定分を使うの。このことに注意して、テキストの空欄に言葉を入れてみてね」

「ユキオはケビン・マイケルズだ。そうだね?」

「よし、それでいいわよ」

彼女は両手を上げて、イエッシッというジェスチャーをして見せた。

「ユキオ、この疑問文は?」

「ユキオは29歳だ。そうだね?」

「よし、それでいいわよ」

彼女はイエッシッを繰り返した。由起夫君は、彼女の額に汗が滲んでいることに気がついた。

「ではユキオ、次のセンテンスを」

「ユキオは中古車を売ったんだね。そうだね」

「よし、それでいいわよ」

再びイエッシッである。テキストの内容は、探偵が強盗を尋問する内容になっている。クリスティーナは、なかなかエネルギッシュな講師なのだが、日本語がわからないので、由起夫君には少し彼の頑張りが威圧的に感じられてしまう。

「では、ユキオ、次のセンテンスを」

「ユキオはシドニーに住んでいる」。そうだね」

「よし、それでいい」

彼女は再びイエッシッである。彼女は楽しい雰囲気を作ろうとしたが、何か不自然で、傍から見るとまるで悲劇である。60分のマンツーマンレッスンが終わった。

「さて、分からないところがあったら、聞きに来てね。それじゃ」

そう言ってクリスティーナは退出した。ネイティブ講師というものは、

どちらかというとクリスティーナのように攻撃的か、それとも消極的のようになるかのどちらである。

「そう言えば前にレッスンを受けたデクスターを最近見かけないけど、彼はどうしたのかなあ」と由起夫君。

「ああ、彼なら何でも仙台の方に転勤したみたいだよ」とクリスティーナ。

「え、そりゃまた随分と遠くに行ったものだね」

「うん。何でも本人の意思らしい。横浜はいいところだけど、もっと田舎に住みたかったらしいよ」

由起夫君はそれを聞いて、別れの挨拶ができなかったことを悔やんだ。しかし彼は去ってしまったのである。今更由起夫君に何ができようか。由起夫君は、デクスターの仙台での幸福を祈った。


水曜日, 11月 3rd, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第30話

由起夫君は日本に帰国した。彼にとって、実にみのりの多い旅行であったようである。彼はあちこちにおみやげを配って回った。

マンツーマンレッスンもついに70回を数えるようになり、彼はデレックのレッスンを受けていた。デレックは由起夫君に様々なことを聞いた。

「旅行はどうだった?」

「うん、良かったよ。5日間ずっと晴れていたし、別に危険な目にもあわなかったし」

UCLAには行ったの?」

「うん、行ってきた。なかなか雰囲気の良い大学だったよ。入学願書も貰ってきた」

デレックは親指を立てて、GOODという合図をしてみせた。彼はUCLAの卒業生である。

「でも1つ問題があるんだ」と由起夫君。

彼は志願要綱を読んで、愕然としたのである。留学生は、地元の学生と較べて、3倍もの学費を払わなければならないのだ。今の彼に手の届く金額ではなかった。

「やっぱり、入学するかどうかは、まだわからないな」と由起夫君。

「そうか」とデレック。彼も残念そうではあった。

そのあと彼らは通常通りのマンツーマンレッスンをしたが、学力的に見ても由起夫君の入学はまだまだ困難であることがはっきりしていた。果たして彼の前途に道は開けるであろうか。


水曜日, 10月 27th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第29話

「あの、ちょっとお尋ねしたいんですけど……」

彼女は振り向いた。

「ここの大学の入学願書が欲しいんですけれど、事務所はどこですか?」

「ああ、それだったら、この建物の中に入って、まっすぐ行くと、受付の人がいるわ。その人に聞いてみてください」

由起夫君は要領の得ない顔をしている。

「私が案内しましょうか」

「いえ、大丈夫です。一人で行けます。どうもありがとう」

そう言って彼は去った。中々の美人だったが、彼女と二人になりながら会話を続ける自信が彼にはなかった。

由起夫君は、何とか目的地に着いたが、そこは総合受付で、文学部の入学願書は、文学部の受付に行かなければ入手できないという。入学申し込みはインターネットでできるのだが、あえてここは地図を買って、再び足を運ぶことにした。

「こんにちは」彼は受付の扉を開けた。

「はい、何か御用ですか?」と受付の方。ネームプレートにはジェーンと書いてあった。

「こちらの入学願書が欲しいんですけど」

「どちらの学部をご希望ですか?」

「文学部です」と彼は応えた。

彼に入学願書が手渡された。しかし、それは大学院ではなく、学部生のものだった。

「あの、大学院の入学願書が欲しいんですけれども」

「大学院?それは難しいんじゃない!」

脇で事務をしていた男の人が笑って応えた。どうやら彼らにとってさえ、大学院は目標であるらしい。由起夫君は少し気おくれしたが、一旦口にしたことは仕方ない。

「大学院の入学願書でしたら、研究室の方でもらってください」

そう言って受付の人は彼に地図を渡した。

実に場所を変えること3度目にして、彼は入学願書を手にすることができた。感無量といった感じだが、彼には不安があった。

「本当にこの場所にオレは来るのだろうか」

彼はすでに28歳である。これからの道のりを思うと暗く沈む思いがした。


水曜日, 10月 20th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第28話

11月である。秋も深まり、紅葉を楽しむことができる季節になった。この月、由起夫君はTOEFLの受験を試みた。これで2回目である。勉強のかいもあって、高得点を得ることができれば良いのであるが、結果は1ヵ月ほど経たないと分からない。彼は12月まで結果が郵送されて来るのを待たなければならなかった。

そこで彼は、この期間を利用して、初めての海外旅行に挑戦することにした。彼は不精な男なので、様々な手続きを済ますのが面倒で、今まで旅行代理店に足を運び、ひと通りの手続きを済ませるに至った。

行先はアメリカ西海岸ロサンゼルスである。ハワイからアラスカを除き、日本から一番近いアメリカ合衆国第2の大都市である。彼は9時間半のフライトでヘトヘトになったものの、初めて目にする異国の地で、感動したようであった。Atlasマンツーマン英会話横浜ラーニングスタジオで、この地出身の講師が一人いた。デレックである。由起夫君は、旅行に出発する前に、彼から次のように言われていた。

「ダウンタウンにはいかない方が良いよ。スラム街なんかは危ないから」

「どのあたりにあるの?」

「ロサンゼルスの西の方だね。僕が住んでいた頃は、このあたりに行くときは銃を携帯していたから」

由起夫君は身震いした。彼はとりあえず、彼の言うことを従うことにしたが、この時、彼の頭をかすめるものがあった。

「スラム街であれば、危ないのか……」

それまでは、彼はこうした問題に頭を悩ますことはなかったが、その後、彼の語学力が増すにつれて、彼もこうした問題に巻き込まれていくようになる。

旅行日程は5日間で、到着した初日は市内観光であった。2日目に彼はオプショナルツアーで、ユニバーサルスタジオに行き、そこでナイトショーを鑑賞した。手品のようであった。残る1日で、4日目の朝には帰途のために空港に向かうのであるが、残りの3日目に、彼は自由行動をとった。日本人の刊行ガイドに付き添ってもらってばかりでは、英語修業の旅にならないと彼は判断したようである。

彼はリトルトーキョーという日本人街に近い場所に宿をとっていたが、そこから歩いてUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)という大学まで行くことにした。歩くには随分長い距離なのだが、彼は観光地ばかりではなく、外国の町中を徘徊して回りたかったようだ。ウィルシャー・ストリートという大きな街道に沿って歩いて行ったが、途中には州立公園があり、博物館があり、日本と同じセブンイレブンがあり……、1ドルショップもあった。日本でいう百円ショップみたいなものであろう。生活などというのは、その国に行っても変わらないものだなと彼は感じながら、秋の暖かな陽射しの中で散歩を楽しんだが、実に5時間もの道のりであったのだ。

UCLAに着いた。実に大きな総合大学である。彼はデジカメであちこちの写真を撮ったが、観光のみが彼の目的なのではない。彼は大学院の入学願書を手に入れようと考えていた。

彼がキャンパス内で迷っていると、カフェテリアに一人の学生が座っているのが見えた。彼は道を尋ねようと思い、彼女に近付いた。


水曜日, 10月 13th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第27話

由起夫君は、二兎追うことはしなかった。しかし結局のところ、一兎も得ることができなかったようである。彼は念願かなって高得点をたたき出した。その日、礼奈さんがロビーで他の生徒と話をしているのを由起夫君は見かけたが、今度は由起夫君の方を見ようとはしなかった。

しかし礼奈さんと懇意に話をしてしまった時点で、彼はすでに二兎を追ってしまったのであろうか。そう考えるのは彼にとってちょっと酷である。クリスティーナも恐らくそう思ったのであろう。

数日後、由起夫君は70回目のマンツーマンレッスンでクリスティーナに教わったが、この時の彼女は彼に対して大変優しかった。

「不眠症にかかったことがありますか?」

彼女は由起夫君に尋ねた。話題は眠りと夢の関係についてである。

「特にはないけれども」と由起夫君。

彼は健康優良児を絵にかいたような男であったが、彼にも一時期、眠れぬ夜に悩みをかかえていた頃があった。

「そういえば今はないけど、大学に入学してから2年間、朝起きれなくて悩んでた時期があったなあ」

「本当?」彼女は意外そうである。

「大学に入るために、一生懸命に勉強していたんだけど、それが実現したあと、目標を失って、ボンヤリしていた時期があったんだ。大学の講義もつまらないし、かといって他にこれといってやることもなかったし」

「そういうのって辛いよね」とクリスティーナ。

「昼とか夜とが逆転したような生活を送ってたね。クリスティーナはどう?」由起夫君はクリスティーナに尋ねた。

「そうねえ、朝起きるのは私も遅いわね。朝9時半頃かな。普段夜9時まで仕事しているから、そのあとアパートに帰って、ご飯作って、食べて……。テレビを見たりしていると、すぐに朝2時になっちゃうのよ。そのあとに寝てるから…」

由起夫君の現在の起床時間は午前7時前後である。これは由起夫君が殊勝であるというよりは、仕事柄、その時間帯に起きざるを得ないというのが実情であった。

「僕が君の立場だったら、君と同じライフスタイルを送ってたと思うよ」

由起夫君にそう言われて、クリスティーナは微笑んだ。

そのあと、レム睡眠とノン睡眠の違いについて彼らは話したが、その時に由起夫君は、TOEFLの勉強をして学んだ事柄を思い出した。

「ハイパー・ソムニアって知ってる?」

クリスティーナは首を横に振ったので、彼は説明した。

「つまり、不眠症の反対で、過眠症のことだよ。車を運転している時や機械の操作などをしている最中に居眠りしてしまうんだ」

「危ないわね」とクリスティーナ。

「僕はそんなことないけど、過眠症で苦しんでいる人も多いらしい」

彼は自分が健康なのが誇らしげである。

由起夫君は、講師でも知らないような単語を自分が知っていることに気付いた。もっともそれはごくわずかではあろうが、どうやらTOEFLの勉強の成果が出たようである。彼は海外留学の夢をまだ捨てきれずにいるらしい。

60分のレッスンが終わり、クリスティーナは退出した。どうやら彼らは仲直りできたようである。


水曜日, 10月 6th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第26話

それから数日後、彼は仕事中、一人で次のようなことを考えていた。

「クリスティーナは美人だが、礼奈さんも彼女に勝るとも劣らない。いっそ二人共彼女にしてしまいたいところだが、中々そうもいくまい。もちろん彼女たちにも選択権はある。それはそうだが、もし自分が選択を迫られたらとしたら、どちらを選ぶべきであろうか。うーむ、どちらに転んでも損はないな。だが選択を迫られて優柔不断でいるのもいかがなものか。やはりここはひとつ、男らしく決断しなければならない。だが彼女たちは本当に僕に気があるのであろうか。それは無論だ。それは彼女たちの態度を見ていればわかる。しかし国際結婚などして、果たして上手にやっていけるのであろうか。確かに不安は残るな。だが日本人女性と結婚してしまっては、普段英語を使わない分、語学の習得が遅れてしまうかもしれない。うーむ、困ったな」

職場でこのようなことを考える男が、果たして男らしいといえるだろうか。それは皆さんの判断にお任せすることにしたいが、それにしても、由起夫君が考えているほど、思うようにことが進むものかどうか、実に疑問である。

数日後、由起夫君はレッスンブースにいた。礼奈さんの姿を他のレッスンブースに見かけたが、結局のところ、彼は彼女に挨拶することをやめたようである。彼女の物言いたげな視線が彼に突き刺さったが、彼は耐えなければならなかった。このときは63回目のマンツーマンレッスンで、講師はもちろん担当講師のデレックである。

「ユキオはどうやらもう問題なさそうだね」

彼はそう言って、由起夫君にレベル4のテキストを渡した。彼は雀躍としている。

テキストを受け取った生徒は、レベルアップのコンピューターテストを受ける権利が与えられる。このテストで今までやってきた集大成をみせることができるのだが、このテストはカウンセラーブースで受けるのが通例になっていた。

一週間後、彼はレッスン後にテストを受けるためにカウンセラーブースに入った。ここには普段生徒が入ってこないので、雰囲気がレッスンブースより少し重い。彼は日本人カウンセラーの近藤さんの姿を見かけた。

「こんにちは」と由起夫君。

「こんにちは」と近藤さん。彼女はとても笑顔が素敵な女性である。そこへクリスティーナが入ってきた。

「あれ、ユキオもコンピューターテストを受けるのね?」

クリスティーナはそう言った。彼女はいつも元気である。由起夫君はうなずいた。

レッスンが終わったのか、生徒と講師がレッスンブースから出て来た。由起夫君は一人でパソコンに向かってテストをしている。前回より難しくなった分、少し時間がかかっているようだ。ちょうどテストが終わりそうな時、クリスティーナが横をデレックと追いかけっこしながら走っていったのである。由起夫君は驚いた。これは明らかに、彼に対するクリスティーナの復習である。そこへカウンセラーの近藤さんが入ってきた。

「無視してください。何かわからないところはありませんでしたか?」

事情を察した近藤さんが、由起夫君に話しかけてきた。テストを終えた由起夫君は、

「ありがとうございました」

そう言ってレッスンブースを退出した。そこには明らかに怒気が含まれており、それに対して応える近藤さんではなかったようです。


水曜日, 9月 29th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第25話

10月になった。残暑も終わり、涼しくなる季節である。由起夫君は、春に次いでこの季節が好きであるが、彼はあまり中秋の名月が似合うといった性格ではない。それでも、時折は虫の響きに心を和ますこともあるらしい。

彼は61回目のレッスンで、デレックのレッスンを受けていたのだが、彼はこの時、クリスティーナに匹敵する美しい日本人女性の生徒に出会ってしまった。名前は礼奈さんと言う。

講師がレッスンブースに来る前に、由起夫君は彼女とロビーで2人で話をする機械に恵まれた。しかし、美女というのは周囲に強力な磁石でも発しているのであろうか、由起夫君は、ついつい彼女と話をするのに夢中になってしまったようだ。

デレックがレッスンブースに入っていくのが見えた。クリスティーナもやってきたが、彼女は隣のレッスンブースで、他の生徒を担当することになっていたようだ。由起夫君は、クリスティーナがレッスンブースのテーブルの上に荒々しくテキストを置いたのを見逃さなかった。

「今日は比較級について学びます」

デレックがテキストを開いて、何やらしゃべっているのだが、由起夫君は集中できないようである。それでも普段真面目にマンツーマンレッスンを受けている由起夫君にとって、レベル3の内容は卒業した感がある。事実、レベル3のテキストも最後の章にきていた。テキストの練習が終わり、雑談をして例の日本人女性の話をデレックにふってみた。

「北川景子に似ている20代の女性の生徒さんを知っている?」

Keiko Kitagawa?

「デレックは日本のテレビ見ないから知らないよね」

「日本のテレビはたまに見るけれど誰なんだい?」

「日本の女優だよ」

「そうか。でもそんな人が生徒でいるのかい?」

「レッスンの前にロビーで会ったんだけど、びっくりするほど美人なんだよ」

森高千里は、由起夫君の気に入った女優である。デレックは首をかしげながらレッスンブースを由起夫君と出たが、幸運にも礼奈さんが隣のレッスンブースから出て来たのである。デレックは退出した。そこは明らかに、これから特別な関係になりそうな男女の雰囲気があったらである。由起夫君は再び彼女と二人っきりになる機会を得た。由起夫君は、前にクリスティーナにプレゼントをあげて以来、彼女からお返しがないことを少々不満に思っていたようだ。

「礼奈さんの髪型って北川景子に似てるよね」

礼奈さんは、ふと、そうかしらといった表情になったが、それでもまんざらでもなかったらしい。礼奈さんと話をしながら、彼はふとクリスティーナの方を見た。彼女は憮然としてレッスンブースを去っていくところであった。由起夫君に勝利の微笑みが浮かんでいるのを、今度は礼奈さんが見逃さない。由起夫君の意識が彼女に戻ると、礼奈さんは、そそくさとロビーを去って外に出てしまった。

「さて、どうするべきか」

由起夫君は思った。彼の人生に訪れた、千載一隅のチャンスである。二兎追うものは一兎を得ずということわざもある。彼はどちらかを選ばなければならないようだ。


水曜日, 9月 15th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第24話

由起夫君はプレゼントをクリスティーナに手渡した。彼女は喜びを隠せない様子である。

「これ、明けてもいいかな」

そう言って彼女は箱を開けた。中には真珠のネックレスが入っている。

「本当にありがとう!」

彼女は感謝を言い尽くせない。何かを話し続けたい気であったが、何も思い浮かばないようだ。由起夫君も同じなので、

「また今度、また今度…」

と口ごもって言った。クリスティーナは退出した。

彼女喜んでいたようだけど。彼は、はにかんでいるようである。

さて、その後数週間は、平穏無事な日々が続いた。周囲の講師や生徒たちもクリスティーナと由起夫君の中を公認し始めているように見えた。しかし、こういう時が一番危ないのである。

レッスン67回目、クリスティーナがレッスンブースに入ってきた。

What am I doing here?(私は今、何をしているのでしょうか?)」

開口一番、彼はそう言った。彼は何か正確な応えを期待していたらしが、由起夫君にはピンとこない。しかし何か言わなければと思い、こう応えた。

「あなたは今、レッスンブースに入っているところ」

「その通り」

彼は応えた。

「私は今、何をしているでしょうか?」

彼が再び質問したので、由起夫君は応えた。

「君は今、座ろうとしているところだ」

「その通り」

クリスティーナは、どうやら現在進行形の英語表現を学ばせようとしていたらしい。彼なりに知恵を絞って、レッスンを面白くしようと試みているのだが、由起夫君には何かしら滑稽に感じられた。

「私は今、何をしているのでしょうか?」

彼が同じ質問を繰り返したので、由起夫君はこう応えた。

「あなたは今、テキストを開こうとしているとことだ」

「その通り」

由起夫君は段々退屈し始めた。しばらくして、二人でがロールプレイをするためにクリスティーナがルールを説明し始めた。

「あなたは、魚と肉、どちらが好きですか?

「はい?」と由起夫君。

「あなたは、魚と肉、どちらが好きですか?」

「ああ、僕は魚の方が好きだな」

「この場合、『私は魚を好みます』と言ったほうがいい」

クリスティーナがそう言うので、由起夫君もそれに従った。レッスンが終了した。

「さあ、今日は2つの表現を学びました。『私は~しているところです』と『私は~を「好みます」の2つです。家で復習してくださいね。それでは、Bye!

彼女はレッスンブースを去っていった。

クリスティーナ、僕のことあまり見てなかったな」

由起夫君は不満を漏らした。果たして英会話講師という職業を理解できない由起夫君が傲慢なのか、それとも杓子定規でレッスンを進めようとするクリスティーナが、気がきかないのかは判断しかねます。しかしこのマンツーマンレッスンを機にして、由起夫君とクリスティーナとの間に亀裂が生じつつあった。


土曜日, 9月 4th, 2010

DO YOU SPEAK ATLAS?|第23話

数日後、由起夫君は63回目のマンツーマンレッスンを受けた。講師は担当のクリスティーナである。

「大都市に住むのと田舎に住むのとどっちが好きですか」

クリスティーナは由起夫君に対して尋ねた。

「僕は田舎の方が好きですね」

と由起夫君。

「私もよ。都会ってゴミゴミしていて嫌よね、騒々しくて落ち着かないわ。ユキオはどう思う?」

クリスティーナに尋ねられて、由起夫君は考えた。田舎は確かにのんびりしていていいが、都会の便利さも捨て難い。

「僕は、大都会に近い田舎に住みたいなあ」

クリスティーナはその応えを聞いて、少々心外だったようである。由起夫君は続けた。

「あまり片田舎じゃ何も楽しむものがないし、かといって大都市でひしめき合って暮らすのも大変だし…。都会に近い郊外なら、両方の良い面を享受できて、いいんじゃないかなあ。横浜は十分都会だけどね」

彼は横浜市民である。こういって彼は国際都市横浜のお国自慢をしてみせた。

「横浜はいいところだと思うけど、私の故郷はもっと自然と都市とが調和していて、すごくきれいなのよ」

クリスティーナは、オーストラリアの西海岸にあるブリスベン市の出身である。由起夫君もそれは想像できるのだが、ゴミゴミとした町でも永年住むとそれなりに味わいが出てくるものと実感してはいた。

レッスン終了後、筆記用具を片づけているクリスティーナに由起夫君は話しかけた。

「実はプレゼントがあるんだ」

「あら、本当?」

彼女はある程度、予期していたように見えた。

「先日、会社の社員旅行で、北海道のニセコに行って来たんだ。ニセコって知ってる?」

「もちろんよ。オージーがたくさんいるところでしょ?私もスノーボードをしに去年行って来たわよ」

「そうなんだ。そこのミルク工房を見学しに行ったんだ。ついでに宝石を買ってきた」

「わあ!」

彼女は目を輝かせた。

「これ君にあげる」



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