DO YOU SPEAK ATLAS?|第31話

11月中旬になった。由起夫君の苦手な寒い12月ももうすぐである。彼のIT事務所はそんなに大きくなかったが、それでも暖房の効く室内業務なので、彼は防寒対策についてはそんなに考えないでいた。普段はジーンズとシャツでジャケットを羽織っていた。彼の職場の上司は少々チンチクリンで、12月になるというのに暖房も入っていないのに、半袖で仕事をする強者である。

「おや、由起夫は寒いのか?こんな涼しいのに」

これが彼の上司の口癖である。由起夫君はいつも自分はほ乳類ではなく、は虫類か何かの生命体ではなかろうかといぶかっていたが、一応手足が2本ついているので、やはり人の生命体なのだろうと思ったようである。

マンツーマンレッスン73回目、彼はデレックのマンツーマンレッスンを受けていた。テキストの中で、軍人募集の章があるのだが、軍曹と志願者の会話のやり取りが実に滑稽なのである。

「それでは由起夫君、今度はあなたが、不動産業者だったとして、会話を行なってください」

デレックにそう言われ、彼は考えている。もちろんデレック顧客の役をやるのだろうと思った。由起夫君はしばしの沈黙の後、口を開いた。

「ようこそ当社へ。何かお手伝いできることはありますか」

「あの~、部屋を探しているんですが」

「どういった物件をお望みですか?」

そう聞かれて、デレックは迷っている。たいした演技である。

「お一人でお住まいですか?」

「いえ、妻がいますけど」

「そうですか、ちょっとお待ちください」

そう言って、由起夫君はテキストを開いた。彼は物件の資料を調べるふりをしている。

「あ、これだ。この3LDKのマンションなんかはどうですか?」

「場所は何処ですか?」

「横浜市ですね」

「駅からどのくらいかかりますか?」

「徒歩で約15分ほどです」

「それじゃ、ちょっと遠いですね」

「そうですか。それではまた少し待ってくださいね」

由起夫君はまた資料を調べるふりをしている。どうみても大根役者だが彼は続ける。

「あ、これだ。この2LDKのマンションなんかはいかがですか?」

「場所は何処ですか?」

「川崎市です」

「駅からどのくらいですか?」

「自転車で3分ほどです」

「それはいい。ではそれに決めます」

「ありがとうございました」

家賃や敷金、礼金といった肝心な事柄に関しては、全く述べていない。彼はどうやら、そうした事柄まで頭が回らなかったようである。

「はい、なかなか良かったです。23注意事項があります」

そう言ってデレックは、文法的な誤りを指摘して、ペーパーに書いて見せた。

「以上のことに注意して、今度は話してみてくださいね」

60分のマンツーマンレッスンが終わり、彼はレッスンブースを退出した。」由起夫君は満足気である。しかし実際の不動産業は、そんなに甘くはないのではなかろうか。

数日後、彼は代行講師としてクリスティーナのマンツーマンレッスンを受けた。クリスティーナは若いが勤続年数が長いので子供の生徒の心を掴むのが上手である。由起夫君も入会して9カ月が過ぎ、長年勤めている講師と新任の講師との区別がつくようになってきた。年季の入った講師であれば、生徒に合わせて様々な話題を提供することができる。先輩の講師でも転職しょたばかりの講師だと紋切り型のレッスンをするのが普通である。その辺はやはり実力がものをいうらしい。世間とは無情なものだと彼は思ったようである。

クリスティーナは、付加疑問の章を選んでレッスンを始めた。

「付加疑問では、最後に動詞の否定分を使うの。このことに注意して、テキストの空欄に言葉を入れてみてね」

「ユキオはケビン・マイケルズだ。そうだね?」

「よし、それでいいわよ」

彼女は両手を上げて、イエッシッというジェスチャーをして見せた。

「ユキオ、この疑問文は?」

「ユキオは29歳だ。そうだね?」

「よし、それでいいわよ」

彼女はイエッシッを繰り返した。由起夫君は、彼女の額に汗が滲んでいることに気がついた。

「ではユキオ、次のセンテンスを」

「ユキオは中古車を売ったんだね。そうだね」

「よし、それでいいわよ」

再びイエッシッである。テキストの内容は、探偵が強盗を尋問する内容になっている。クリスティーナは、なかなかエネルギッシュな講師なのだが、日本語がわからないので、由起夫君には少し彼の頑張りが威圧的に感じられてしまう。

「では、ユキオ、次のセンテンスを」

「ユキオはシドニーに住んでいる」。そうだね」

「よし、それでいい」

彼女は再びイエッシッである。彼女は楽しい雰囲気を作ろうとしたが、何か不自然で、傍から見るとまるで悲劇である。60分のマンツーマンレッスンが終わった。

「さて、分からないところがあったら、聞きに来てね。それじゃ」

そう言ってクリスティーナは退出した。ネイティブ講師というものは、

どちらかというとクリスティーナのように攻撃的か、それとも消極的のようになるかのどちらである。

「そう言えば前にレッスンを受けたデクスターを最近見かけないけど、彼はどうしたのかなあ」と由起夫君。

「ああ、彼なら何でも仙台の方に転勤したみたいだよ」とクリスティーナ。

「え、そりゃまた随分と遠くに行ったものだね」

「うん。何でも本人の意思らしい。横浜はいいところだけど、もっと田舎に住みたかったらしいよ」

由起夫君はそれを聞いて、別れの挨拶ができなかったことを悔やんだ。しかし彼は去ってしまったのである。今更由起夫君に何ができようか。由起夫君は、デクスターの仙台での幸福を祈った。


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