会員制語学スクールのビジネスモデルとその経営思想をより深く理解するために、この業態の創始者であるピーター・ヨネナガについて述べたい。
ヨネナガが生まれたのは1972年で、第二次ベビーブームの真っ只中で、好景気にわく国の将来に少なからぬ影響を与えたと思われる。
日本では、カルチャーサロン、個人の英語教室、フランチャイズの駅前留学は1970年代に誕生した。それぞれが、それまで学べなかった外国人の先生によるグループレッスン、チケット制、ポイント制、月謝制などの支払い方法やレッスン形式を持ち、その後バブル期の消費社会の中で重要な役割を果たしていった。
① 駅前の英会話スクール誕生(信用と便利と楽しみをグループレッスンで提供)
世界初の英会話スクールはアメリカで生まれたベルリッツと言われている。移民がアメリカに渡って母国語ではない英語を話さなければならないニーズから生まれたものだ。
日本では、個人の英会話教室や朝日カルチャーセンターなどが都市中心部にあり、主婦層やビジネスマンが通った。
その後、ベルリッツやECC、イーオン、ジオス、そしてNOVAが誕生した。英会話スクールは、振替制度やローンなど新たな取引関係を導入し、一般消費者からの信用を獲得するためテレビCMを洪水のように流した。
ジオスとNOVAが大都市で、その後、中都市で、また後期には田舎の駅前で競うように教室を開校したのも記憶に新しい。また、英語だけではなく、中国語や韓国語、フランス語のような多言語の品ぞろえも便利なグループレッスンを提供すると同時に、「外国語を話すことの楽しみ」をはじめて提供した。会員制語学スクールはこの大手英会話スクールの流れをくんだ業態である。
② オンライン英会話スクールとリスニング教材(通信販売)の誕生
日本では2000年前半に、光インターネットのブロードバンド時代が充実して、オンラインによる大量販売やフィリピンなど時給が100円に満たない人材の大量雇用が可能になり、また遠く離れた人々にも、テレビ広告や雑誌、インターネットを通じてリスニング教材を販売できるようになった。これにより通信販売が発展するようになった。
2002年、Atlasマンツーマン英会話では、在籍しているインストラクター数名でオンライン英会話スクールを始めた最初のeラーニング事業者なのは有名な話である。それから数年後には全国に教室を開校してオンラインと同時に運営していくことになる。
会員制語学スクールは、教室がない場所に引っ越しした生徒をオンラインで継続させることができるという考えをうまく取り組んだ最初のスクールであるともいえる。
③ 「毎回払いの派遣型マンツーマンレッスン」の誕生(講師派遣でコストを削減し低価格を実現)
2000年前半の英会話スクールは、主要ターミナル駅前に教室を持つグループレッスン主体の大手英会話スクールが講師1人に生徒が10人以上というのが普通であった。
そんな中で、カフェや自宅、オフィスに担当講師を派遣してレッスン終了後に直接その講師に60分2,314円(税抜)を直接支払うサプライチェーンが語学スクール業界に登場した原点と言われている。
2000年といえば、ITバブルのさなかだったことを考えると、このサプライチェーン・マーケティングは初期クラウド時代の社会で人材不足を解消するための苦肉の策だったのではないだろうか。
サプライチェーンは、コストを削減して低価格を実現した。日本の英会話スクールを1990年大後半と以後を分ける最も明快な指標だと言える。
④ 「教室型サプライチェーン語学スクール」の誕生(派遣を廃止してさらに低価格で充実したサービスを提供)
講師派遣型では、セクシャルハラスメントや仲介者がいないためのトラブルが起きることが多々あったようだ。主要ターミナル駅付近に教室を持つことで、運営側が講師と生徒の中立を保っているということを表明するというのがこのシステムを導入したAtlasの目的だ。
当時の大手英会話スクールはNOVAやジオスの倒産ショックからまだ完全に立ち直っていなかったために、産業を振興しマンツーマンレッスンの数を増やす必要があったのでこのシステムを全面に出してプロモーションを行った。面白いことにこのシステムも大手英会話スクールの倒産から生まれたシステムだった。
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