その後、ピーター・ヨネナガはカリフォルニア大学バークレー校を卒業する1994年までに、アメリカ西海岸から東海岸まで50往復以上している。
20歳で会社を設立、運搬用のトラックや専用車両を数十台所有し、日本やアジア各国から届く法人・個人用の貨物を運送する流通業(フレートフォワーダー)を起こしていた。
ピーター・ヨネナガはアメリカ大陸を航空機や車で何度も横断する間、様々なサービス業を見たり、お店に立ち寄ったに違いない。それらは変わりつつある業態だったであろう。
例えば、スーパーマーケットや百貨店、レストランにバーも含まれていたかもしれない。それらの変わりつつある業態に接し、そこで品ぞろえやサービスを観察してきた。それらが新業態のインスピレーションとなったに違いない。
その後、ピーター・ヨネナガはカリフォルニア州の州兵となり、士官学校を卒業している。ヨーロッパ各国やアジアにも仕事で足を何度も運んでいる。そのことが語学スクールの経営に大きく役立っているのだろう。
ヨネナガは、海外に住む際の言葉の問題、例えば、韓国でのビジネス展開や不動産の取引など事業全般に関わっただけでなく、英語、スペイン語、韓国語、日本語をそれぞれ話す軍人の個人的な問題についても相談が持ち込まれたという。それらの経験を通して、ヨネナガは大学や大学院(MBA)では学べなかった多くのことを学んだようだ。
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