英語の先生の中には、辞書が大好きという人がたくさんいます。個人的に辞書が好きなのはかまいませんが、中には自分の嗜好を生徒に押し付けるような先生もいます。英語が好きというレベルを越え、英語学習を偏愛してしまっているのです。
そんな先生には、生徒を英語使用者に育て上げるという意識は全くなく、英語学習者を育てるのが生きがいになってしまうようです。こういう盲目的な先生には、手段(学習)が目的化してしまっているということを指摘しても、「学習は受験に必要」という理由で辞書を使うことも正当化されてしまいます。
「辞書なしで外国語の勉強ができるものか」と反発を感じられる先生も多いです。「英語は辞書を使って習得する」というのが、まるで信仰のようになってしまっています。さらに驚いたのが、辞書は生素材だと言われる先生もいます。
教科書は加工品で、辞書が生ものだとすると、私が趣味で楽しんでいる英語の小説やラジオなどは、純生ということになります。あたりまえの話ですが、辞書を使わずに、第二言語としてのまたはリンガ・フランカとしての英語を使えるようになった人は、世界中にはいくらでもいます。
紙の辞書が絶対に必要だなんて言ったら、どうでしょうか、きっと海外では失笑ものです。友人のフランス人はフランス語を教えていますが、こんな話をしてくれました。
「私の勤める語学スクールはいろんな国から学生が来ていますが、日本人だけは必ず机の上に辞書を置いています。会話の授業をしていても、いちいち単語を辞書で確認します。なので最初の授業では、「辞書はもってこないでくださいね。辞書ではなくて人と会話しましょう。」というのが、日本人がいるときの定番ジョークになっているんです。」
英語教育での悪癖が、他の外国語を習得する際にも、邪魔になってしまっているようです。「知らない単語に出会ったら必ず辞書で調べよう。辞書で調べることで単語が覚えられる。」 いい加減、こんな神話から脱却しませんか?
出版社も日本人の辞書好きをちゃっかり利用しています。なんと今や英英和辞典があるそうです。英英辞典に和訳がついているのです。 英語の先生によると、「最終的には英英辞書を使えるようになってほしいが、その前段階としてこれを使わせる」のだそうです。
でも、生徒は語義の和訳だけを見て、英語による説明など読むはずがありません。ゴミになるだけです。まったくもって無駄としか言いようがありません。それでも、いくつかの学校でこの辞書が採用されれば、一度にまとまった部数が売れるのです。出版社にとってみたらこんなうまい商売はありません。結局、一番得をするのは業者というわけです。 |