語学習得研究の分野で使われている専門用語でTAというのがあります。これは、曖昧であることを受け入れる、全てをわかろうとしない、そうした態度のことを意味します。
わからないことがあっても気にしない人と、全部わかったと思えるまで前に進めない人とでは、わからないことを適当で済ますことのできる人のほうが、語学習得がスムーズに行くと言われています。
さて、このTAですが、定着した日本語の訳語はまだないようで、つまり語学習得のことを研究している日本の専門家は、TAのあるなしと語学習得の関連性について、特に着目していないということなのでしょう。
動機の強さに加えて、TA度を高くすることは、外国語のユーザーになるためには、絶対に必要な姿勢です。しかしながら学校英語では、TAは完全に蚊帳の外です。逆にTAの邪魔になるような態度、完璧さを求めることを、「辞書を引け」「和訳できないのは理解できていないからだ」「精読しなければわかったと言えない」といった教育の仕方で植え付けてしまっています。
例えば、英語が聞き取れるようになるためにはどうすればいいかということで、英語の先生はこんなアドバイスをしていました。「7,8割ぐらいはわかる素材を聞くようにするといい。パズルで例えると、ピースがいくつか抜けているような状態がいい。何度も同じ素材を聞くことによって、抜けていたピースにあたる英語が聞き取れるようになる。そうやって理解度が上がり英語が聞き取れるようになるのだ。」
たしかに聞き取りを伸ばすための、正しい勉強方法という感じがするでしょう。しかし、このアドバイスには、語学習得の弊害になるような害がたっぷりつまっています。つまり、7、8割以上聞き取れないと、ちゃんと理解できたとは言えなかったり、努力すれば完全に理解ができるとか聞き取れない部分に意識を向けることが必要ということになりますが、これはすべてTAを高めることとは、逆の態度を育成することになってしまいます。
7,8割わかる、というのは、外国語としてはもう十分理解していることになります。それだけわかっているのに、まだわからないと考えること自体が大きな勘違いです。そもそも外国語を完全に理解することなど、どうやっても不可能なことです。
日本語でのコミュニケーションであっても、完全に分かり合えることなどあるわけがなく、実際はお互いが「理解したつもり」になることで会話をしたり、本を読んだりしているものです。それなのに、英語となったとたんに完全なる理解を求めてしまう、それが学校英語の大きな罪でしょう。
また、TAが高まるというのは、「わかる部分」から話を繋げて理解することができるということです。わからない部分はスルーでいいことなのです。ところがよくある聞き取りの練習のディクテーションなどでは、わからない部分ばかりに集中して取り組むことになります。
わからない部分を気にするということは、TAとは真逆のフォーカスになってしまいます。聞き取りを伸ばしたいときに必要なことはただ一つ、関心のある話題の素材を使うことでしょう。理解度など問題ではありません。
どうしてもわかるようになりたい、知りたくて仕方がない、そういう素材をたくさん聞いたり読んだりする、それこそが一番に大切なことです。そして、ほんのちょっとわかった、という気づきの瞬間が溜まっていくことによって、全体を見渡せるような聞き取り力が養われているのです。こうすることによってTAも自然に高まっていくというわけです。
学校英語では効率を求めるあまりに、語学習得にとって最も大切なものが抜け落ちています。 その最たるもの、それがTAです。 |