今回も多くの方のサポートを受け、あちこちに散らばっていた話をコラムにまとめることができました。複数の現役教師の友人からは、現場で起きていることをたくさん教えてもらいました。受験問題を解いてくれた友人もいます。地元で開催している英語の会のメンバーの話も参考にさせてもらいました。みなさん、どうもありがとうございました。
ところで、今日は友人のアルゼンチン人が日本語を学んでいるというので、文章を直してあげました。返事をもらいました。昨日は、日本在住のフランス人翻訳家の知り合いに、どうやって日本語と英語を伸ばしていったのか、電子書籍に少し書いてくれないかとメールしたら返事がありました。一昨日は、アメリカ人の友人が日本で英語教師をすることになったとメールをくれました。
というように英語とネットを使えば、海外に行かなくても今では簡単にグローバルな人の輪が広がります。これが学校英語を疑い、違ったアプローチで英語と触れてきた結果です。ところが残念なことに、学校英語で痛めつけられてしまう多くの若い人たちは、こういう楽しい経験をすることなしに英語を嫌いになってしまいます。なんてもったいないことでしょう。
多くの専門家が日本人の「英語ができない理由」を考えています。「学び方がよくない、発音が難しいからだ、日本人の控えめな性格がいけない、使う場がないから」などです。しかし、私はこう考えます。
中学3年間で英語の学習は十分なのに、さらにその先何年も学習するように仕向けられる、これが間違っているんだと思うのです。学習自体を目的としている限り使うことには繋がりませんし、むしろ過剰な知識が邪魔をして英語は使えなくなります。
残念なことに日本では、学校で英語を学習することを先に覚えてしまいます。ちゃんとした学習者になってから、ユーザーになるようにと躾けられます。そこにテストが、受験が、トドメをさし、生徒は立派な学習者となって巣立っていきます。
学校の外に出て始めて、ユーザーになれない自分に気づくのでしょう。言葉は勉強しすぎてはいけないのです。別言語学者になるわけではないのです。言葉は使うものです。言語は使うから使えるんです。勉強するから使えるようになるのではありません。新しい言葉に興味を持ったとき、そのスタートから使うユーザーであるべきです。
英語教育に関心のあるみなさん、保護者のみなさん。自分が英語のために費やした時間を思い出してください。その時間に見合うだけの何かが残りましたか? あなたの人生で英語が何かの役に立ったことがありますか? もし答えがNOならば、ドラスティックにやり方を変える時ではないでしょうか。 |