Atlasマンツーマン英会話

容姿と中身が合わない人間に対してはどうするべきなのか|Atlasマンツーマン英会話

札幌、東京、横浜、名古屋、栄や金山エリア、大阪梅田エリアのマンツーマン英会話

Atlasの特徴レッスンコース・授業料一覧スクールを探す無料体験レッスン子供英会話Atlas KID'Sオンライン英会話

ホーム > 時代の転換期を迎えたAtlasマンツーマン英会話の新しい方向性

容姿と中身が合わない人間に対してはどうするべきなのか

自分がなぜこの世に生まれてきたのか、その使命を悟って前に進む人物のことを「人」といいます。これに対して、その意味を知ろうとせず、それでいながら何もしようとしない人物のことを、人と人の間を漂っているという意味で「人間」といいます。同じ人類でも、この世には二種類の人物がいるのです。人と人間の間には越えがたい溝があります。

 

一番厄介なのは、容姿からすると男女を問わず文句がないのですが、中身はどうにもこうにも表現しがたいレベルの人物です。自分の宿命を知り、それを自分の意識をもって受け取るか、あるいは新たな人世を掴み取るか、そのいずれかをするという意味での運命を体得していないわけです。

 

この意味での人は老若男女を問わず、自然と多くの人物が寄り集ってくることになります。人脈の交差点となり、そこに行き交う情報がやがて新たな価値を生むようになり、その人はますます尊ばれ、周囲はそれに触れることで得る幸福の対価を支払うようになります。したがってこの手の人は決まって、大富豪とまでは行かずとも豊かな生活を過ごしています。そのことがまた、落ち着いて宿命への旅を歩ませることへとつながり、ますます磨かれていくことになります。

 

容姿と中身が違う人物について考えてみると、一見すると容姿は光り輝いています。年齢は問わず、光るものを持っている眼差しをしています。あるいは群衆の中にあっても、すぐに他と区別できるような、そんな顔つきをしているし、背も高いのです。実際に口を聴いてみると、確かにそれらしいことを言います。時には「若いのにしっかりしている」ということにもなります。

 

しかし、自分の固い殻に閉じこもり、目の前に出会う全ての人物たちに対してその意味を探ろうとする姿勢が一切見られないのです。だからと言って、自己を振り返って器を磨くというわけでもありません。ただただ野放図な生き方をしています。人である立場からすると実にもったいないと思ってしまうのですが、だからこそ手を差し伸べようとします。つまり、悟ることができるように導きたいと強く想ってしまうのです。

 

すると、ほとんどの場合、突然、威嚇し始めます。パターンはいつも同じで、現代社会においては「規制緩和=完全自由化」というイデオロギーの裏側に仕込まれた「何かあったらば法的紛争に持ち込めば良い」という、司法マフィアたちのビジネス・モデルへと逃げ込むのが常套手段なのです。

 

そこまでいかずとも、とにかく誰が決めたか分からないルールを杓子定規に突然掲げ、それに反しているハラスメントだと大声で叫び始めるのです。野次馬というのは常にいるのであって、そうした騒ぎが起きると今やソーシャル・メディアという拡声器を持った小さな器の人間たちは集まり、これをはやし立てることになります。その結果、ここで生じるべき宿命は立ち消えてしまうことになるのです。

 

振り返ると、昭和時代までの日本は宿命の世界でした。そもそも出会いというものが現在からすると希少であったため、出会うことについての意味を人々は真剣に考え、悩み、喜び、そして分かち合って来ました。それはスローモーションなものであったかもしれないけれども、それだけ幸福という意味での充実に満ち溢れていたように思います。

 

しかし今は違います。とりわけ若い世代はとにかく誰が決めたか分からないルールを杓子定規に突然掲げたイデオロギーに完全に毒されてしまっています。ほんの一部の、いわゆる厳しい親、つまり昭和時代までの日本における人の在り方について徹底して躾てくれる両親の下で育った者たちを除き、生まれた時から中身が腐るようでは、「人」には永遠になることが出来ず、ただただ漂う「人間」として生きることを余儀なくされている不幸な自分に気付かないような生活を送らされているのです。

 

もがけばもがくほど、規制緩和=完全自由化の世界、しかもグローバル化で国境が無いので実に様々な出会いがあります。だがその度に宿命とどのように対峙したらいいのか分からないから、この手の若者たちはハレーションばかりを続出させていくことになり、何とも満たされないまま、ただただ漂い続けることになるのです。

 

「使命を持って生まれていない者に、使命を持って生まれた者と同じ教えを施してはいけないのです。なぜなら、使命を持って生まれていない者は、試練に耐えることが出来ないからです。ただただ、枠組みを与え、その中で生きさらばえてもらえばそれで良いのです。これに対して使命を持って生まれたものには、次々に試練が待っています。しかし、それを乗り越える度に報償が訪れることになります。もっともそれに甘んじではいけません。あえてこれに安住することなく、さらに自分の使命に向かって突き進むことにより、さらに大きな試練に立ち向かうことになります」

 

この言葉の延長線上で考えるならば、「人」がここでいう容姿と中身がずれている人物に出会い、しばし困難に直面することになるのは、一つの試練ということになるでしょう。しかしそこで我執することなく、あるべきことを貫くと不思議とこの意味での試練は解消され、次へと進む道が開けて来ることになります。

 

その意味で容姿と中身が合わない人物を目の当りにしても、それに憐憫をかけ、こだわることなく、己の使命を果たすために与えられた尊い時間を一分一秒たりとも無駄に費やすことなどせず、前進すべきなのです。なぜなら、容姿と中身の会わない人物はいってみればモンスターみたいなものです。

 

本来ならば宿命に導かれながら歩むかもしれなかったかもしれなかったのですが、持って生まれた何かによってそれを遮られていて、その意味で哀しい存在なのです。これまでそうであったように、これからもまた私は自分の使命が果たされた瞬間を求める道を驀進する中で、数多くのこうした小さな器の人間たちに出会っていくことになるでしょう。それがまた試練となる時もあるかもしれません。しかし、自分の使命へと連なる宿命は何物にも勝る強さなのであり、必ずそこへと至る道は切り開かれ、モンスターたちは去ることを余儀なくされていくのです。

 Atlas CEO ピーター・ヨネナガが教える「倒産・休廃業(解散)を防ぐ英会話スクールの経営分析コラム」 Atlasマンツーマン英会話への転校をご希望の方に「大手英会話スクールのやめ方・中途解約方法」
生徒さんの声レッスン体験談
入会までの流れはこちら
無料体験申込はこちらから
ページのトップへ

Copyright Atlas Corp.All right reserved.