パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う(Wikipediaから)
つまり、パラダイムシフトは、「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)」が、革命的かつ非連続的に変化すること」と定義されています。ここで重要なのは「非連続的に変化」という部分です。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化は連続的に起こるのではなく、二つのパラダイムは完全に断裂しているということです。新しい考え方は古いパラダイムを完全否定することで生まれるようなのです。
例えば、地動説は天動説の進化系として唱えられたものでもなく、天動説の研究から生まれたものでもありません。だから、両者の間でいくら議論しても合意点は全くなく、何より、共通認識すらないから討論自体が成立しません。
私たちはつい、科学の進歩も社会の進歩も、連続的段階的に発展してきたと考えがちです。例えば、「ギリシャ時代の科学を土台にローマ時代の科学が発展し、イスラムの科学が加わって錬金術が発達し、やがて16世紀のガリレオ、17世紀のニュートンに受け継がれ、ついには20世紀の科学文明として花開いた」というように、ちょうどリレー走者が次の走者にバトンを渡して現代に至っているというイメージがります。
しかし実際は、科学にしろ、社会にしろ、変化は突然起こり、それまで常識と思われていたことが根底からくつがえされ、全く関係のない新しい考えが主流になって発展してきました。
これだけ英語が上達しない英会話スクールが蔓延している世の中となってきますと、いよいよ「パラダイムシフト」が必要だと、実際には誰でも思っているのだと思います。「テレビで流れている英会話スクールやリスニング教材が英語力アップに貢献していない」ということが、はっきりとしている以上、「今の大手スクールは根本的に何か間違っているところがある」と判断しても間違いではないと思われます。
教育の概念が間違っていないのならば、日本人の英会話力は上がっているはずですが、そうはなっていません。しかし、そうは思ってはいても、先ほど書きましたように、私たちは油断すると、「物事は少しずつ変化していくから」というように思ってしまって、「いつかは少しずつ良くなっていく時もあるのだろう」としてジッとしているといようなことになっているように思いますが、本当に良くなる時の変化は「完全に変わる」というようでなければ本物ではないのかもしれません。では、誰がそれを推し進めればいいのか。
そして、パラダイムシフトを起こすことができる可能性を最も持つのは、外国人講師たちでも外国語大学の学者たちでもなく、私たちであることが正しいのかもしれません。「パラダイムシフトは誰か他人がなしてくれるものなのではなく、私たち自身から始まる」ということを忘れずにいるべきです。
どれだけ有名な大学の学者や経済学者であろうと、そういう人たちにはパラダイムシフトは起こせないのです。何でもない私たち個人にしか起こせないのです。そして、パラダイムシフトが及ぶ範囲は当然、語学や科学だけではなく「すべて」なのかもしれません。
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