最近、日本国内であらためて女性の社会進出を求める声が高まっています。少子高齢化が加速度的に進んでいる日本では、最後の砦は女性だと政府が掲げています。そうした中、マスメディアでは連日のように輝いているキャリアウーマンたちが登場しています。
実際、企業経営の最前線に立っていると女性の方が優れていると痛感せざるを得ない場面が多く見受けられます。新規採用では、選考で残るのは女性だけということになりかねません。そしてそうした傾向は日増しに強まっています。
事実として、男性は誘惑に弱く、少しでもうまく行くと欲望に流されてしまう傾向が見られます。その点、女性はしっかりしている人が多く、誘惑にも負けにくいというのも事実です。だから欧米社会や中国では最終的に女性にリーダーシップを任せることがあります。
華僑(客家)では男性と女性のツートップで経営リーダーシップのスクラムを組むことが見られます。しかも女性が男性よりもやや若い世代より選ばれてペアを組むことにより、男性が一人で仕切る時よりも見えないところを見て、気付かないところを気付くようになるからです。
しかも、女性は男性より5歳ほど長生きです。必ずしも事業承継は息子にという伝統がない華僑では、企業の存続のために節制ある女性の生命力が巧みに用いられています。この辺が何かと欲望に負けてしまい、かつそれを良しとする日本の経営現場とは大きな違いがあります。
一方、日本では安倍政権が女性の社会進出を掲げているのには隠された訳がありそうです。その訳とは、太陽活動の異変に伴う気候変動が激化し、それが元で経済はデフレ縮小化に向かっているということです。このデフレ縮小化を何とかしてインフレで抵抗しようとしているのが欧米諸国です。
欧米諸国のグローバルエリートたちは1990年代に入り、女性をターゲットに市場を創り始めました。さらに2000年代にはLGBTの人達も加え、そしてインターネット網を世界中に広め、そして全てをデジタル化させることで高速処理を可能にし、その次、さらにその次とチャレンジすることが可能な経済システムへと世界全体を丸ごと入れ替え始めました。
ところがこのデジタル・エコノミーというのは、ソーシャル・メディアやログ解析といった作業など細かく、また持続して行わなければならないものになりました。しかし、私たちの人体には波があり、自律神経をコントロールすることが出来ないために延々と続く作業の山に埋もれてしまい、精神と肉体を病んでいったのです。
そうなると疲れて働けない人が多くなり、日々の稼ぎは徐々に減っていくことになります。日本では、都市部に人口が集中する傾向が続いていますが、人間がたくさんいてそれだけ市場が大きいように見える都市部であればあるほど、そこで働く男性たちの稼ぎは少なくなりつつあります。
それもそのはず、都市部はデジタルエコノミーの工場であり、一見すると格好よく働いているように見える若者たちが、大人の目から見ると全く資産を持たず、将来に向けた安定性の確保など考えも及んでいないことは誰の目にも明らかなになっています。
しかし、人間、ある年齢になると恋愛もし、結婚をするようになります。そこでは母性に目覚める女性たちは適齢期になると結婚を志すようになりますが、ところがその結婚は下手をすると人生が暗転する大きなきっかけとなってしまうようになってしまいました。
なぜなら、結婚相手である男性の稼ぎが急激に減っているからですが、イケメンであろうと何であろうと、結局のところ男性は稼ぎがいくらあることで成立していることが分かります。最初はイケメンを追い求めていた婚活中の女性たちもいつかはその現実を知るようになり、立ち止まり始めます。
やがて婚活中の女子たちはある段階で決意することになります。それは、私も仕事を続けなくてはいけない、というものです。こうした日本の女性たちの決断は一見正しく見えますが、重大な落とし穴に落ちることにもなりかねません。専業主婦であれば家事・育児に専念することが出来たわけですが、職業婦人の道を選ぶ以上、もはやこれらの専念することは出来なくなるからです。
そして夫と共に進みつつあるデフレ縮小化の渦の中に巻き込まれ、妻ももがき続けることになります。要するに、安倍政権が語るバラ色の構図はそこにはなく、むしろ心配ごとの連続になるしかないわけです。さらに専業主婦となることを迷わず選んでいた日本の女性たちが引き続き仕事場で役割を果たし続けるということは、それだけ彼女たちにとっての生きる選択肢が広がるということにもなります。
そしてその中には、結婚をせずに別の道を選択する、という自由が膨らみ続けることも含まれていきます。このように職業を引き続き持つようになる日本の女性たちは出産・育児という選択肢にすら消極的になり始めています。そして若い夫婦たちはいとも簡単に離婚し、女性たちは輝くことを夢見て、日に日に厳しさを増す経済社会へとその大切な身を投じるようになっていきます。
私は、女性の社会進出そのものに異論などありませんが、そもそも日本の女性の在り方は1980年代までは今とは大きく違っていたことを知っています。しかもその在り方にはそれなりに意義があったはずです。そうしたことについて今一度真剣に考え直すことをせずに、何かに追い立てられるようにして無自覚なまま、そうした在り方を投げ捨てることが本当に私たち日本人にとって得策なのでしょうか。
是非、お気軽に、凛とした意識をもった女性たちが一人でも多くこのAtlasマンツーマン英会話の体験レッスンに足を運んで頂ければと社員一同お待ちいたしております。
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