日本の「テレビ局」というのは、基本的に、欧米の通信社であるCNNやBBCからの配信を流しているだけであって、すでに報道内容がフィルターにかけられており、したがって、スクリーニングされた後の情報しか視聴者は手にすることができなくなっています。
さらに、海外からのニュースソースを選ぶ現場にいる日本人海外支局特派員の人材の、政治・経済・社会的知識も圧倒的に少ないため、そもそも国民の命を守るための情報が何なのか判断することができなくなっているわけです。
つまり、テレビ局からの報道ほど社会的弱者に対するいじめ体質がそのまま反映されているということになります。高学歴・高収入のテレビ局関係者と話した経験がある人は理解できると思いますが、人格が破綻している確率が高いと私は思うわけです。一部を除いて、本当に「無能の権威主義人間」について知りたければ、テレビ局に勤める人間と話すことです。
一方、日本の「新聞社」というのは、一度書いたことについてはとことん責任が追及される仕組みになっているため、ジャーナリズム魂を感じることができる人材がまだ生き残っています。しかし、インターネットの普及によって彼らも無能であることが徐々に露呈されてしまっているように思います。
ただ、調査報道タイプのノンフィクション作家こそは、真のジャーナリストと呼ぶにふさわしいと思います。目安としては、一貫していて矛盾のない長文が書けるかどうかで、そのジャーナリストの能力を推し測ることができます。
そして、日本の「出版社」というのは、そもそもマスコミではなく、二次・三次情報を再加工・再編集して売るコンテンツ産業であるため、新聞・テレビが消滅しても出版業だけは消滅しないと考えられています。すでに表紙やタイトルだけでは売れなくなってしまったので、質の悪いコンテンツであれば、それ相応の価格にしなければならなくなっています。
出版業界は、プリント媒体(紙ベースの本や雑誌)と電子書籍(アマゾン・キンドル)の両建てで売らないと生き残ることできなくなっています。したがって、ネットとのクロスメディアは欠かせなくなりました。
さらに、日本の「ネットニュース」というのは、ピンからキリまで玉石混交の状態にあり、一概には言えませんがディープステートについて詳しく理解できない内容が多くなっていいるように思います。ただ、国内情報を使いまわしする傾向があり、グローバルな情報を手に入れることはできないようです。
今後、ネットニュースで必要なことはジャーナリステックな視点を持っていても、それを世代や専門、ジェンダーごとに効率的に伝えるための編集能力が備わっていないとテレビや新聞の解説員程度のレベルで止まってしまう恐れがあることです。
最後は日本の「ラジオ」ですが、アメリカでは車に乗っている時間が多いためラジオを聴く人が多く、また最も信頼できる電波メディアとして認識されています。これは日本でも同じことがいえますが、そろそろ、なんとなくテレビを観るのを止め、ラジオを聴くようにした方がよほど有益な情報を入手することができるタイミングに入ったと感じています。
このように、テレビや新聞を活動のベースにしている記者たちの論説を聴いても、全体像をつかむことはできなくなっています。あらかじめ決められた範囲で、それを達成できてこそのジャーナリストなのですが、そうした能力を持つことが難しくなっているわけです。
しかし、欧米には優れたジャーナリストが多数存在していて、アメリカの三大テレビネットワークにも影響を与えるようなアルファ・ブロガーとして認識されています。しかし、日本には記者クラブがあることでジャーナリズムが育つことは難しく、既得権益を絶対に手放そうとはしません。
結局、利権の温存を優先するような人間たちに報道をする能力が不足しているため、全体社会の好きな日本のマスコミは不思議とそれらしいことができているように見えるというわけです。これこそが日本の談合社会の証明と言えそうです。
今後、マスメディアの既得権益を壊し、法律を変え、バッグラウンドを持たないフリーランス記者が自由に報道の最前線に行くことが許されるようにならなければ、第2、第3の原発事故の詳細や教育や金融、医療について本当に知ることができないために、やがては多くの日本国民が死ぬことになるかもしれません。
このように、ピラミッドの頂上のディープステートから自民党に、そしてマスメディアに圧力をかけ続け、現政権が全国の原発再稼動に際して同じことを言って日本国民を騙し続ける限り、次の原発事故は確実に起こると思います。
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