私自身、年に数回は地元の新聞社やテレビ局による無報酬のインタビュー依頼を受けることがあります。そこでどう考えても「インタビューするメディア側がお金を払うべきではないのか」という疑問があります。
つまり、インタビューをされる側がお金を払うのはおかしいと思うわけです。それとも無報酬ということに問題があるのでしょうか?
現在、メディアによる無報酬のインタビュー依頼というのは当たり前になっていますが、個人や会社が事業を起こしたばかりの場合、インタビューをされたいという気持ちが強くあると思います。例えば、数年前、レスリングの吉田沙保里選手が取材に報酬を求めたことがありましたが、「取材してもらえることを喜べ」とマスコミに叩かれたことがありました。
これは、彼女がマネジメント契約を結んだ会社のマネジャーから、「今後は囲み取材は構わないが、個別の取材には3万円を頂戴します」と通告されたからです。バラエティー番組ならともかく、スポーツ報道にギャラが発生することはあり得ないというわけです。そのため、記者団から総スカン状態を食らうことになったようです。
インタビューしてもらうというのは確かに自分や会社の宣伝にはなりますが、インタビューを1時間受けるくらいなら、1時間分の報酬が欲しいと考えるのが普通だと思います。例えば、時給3,000円の人はそのインタビューの1時間でなくとも今の仕事で3000円を稼ぐことができるわけです。
インタビューの価値は時給と同じ価値ではないのは分かりますが、自分や会社の宣伝をしてくれることは悪いことではありません。しかもかなり丁寧な依頼が来て、「これこれこういう方法で宣伝しますから」と言われると無報酬でも受けたくなるかもしれません。
特に、テレビや新聞などのマスメディア宣伝をしてくれるなら、1時間くらいインタビューに使うメリットもあるかもしれません。しかし、フォロワーが少ないサイトや媒体でインタビューを受けてもメリットがあるとは到底思えません。
なぜなら、時給3000円の人は、それなりの規模のメディアでなければ、3000円に見合うアクセスアップは期待できないからです。それなら、報酬は払えませんが、誠心誠意記事を書いてくれるメディアに対しては快く受け入れたいはずです。
一方、場合によっては、インタビューされる個人・企業側がお金を払って記事にしてもらう広告記事もあります。これはインタビューというより文字通りの宣伝です。広告として、お金を払う代わりに自社の商品やサービスを紹介してもらうという考え方です。
ここで考えられることは、インタビューを依頼するメデイアは無報酬が前提ですが、「インタビューされたいならお金支払わなければいけない」前提になっているわけです。「インタビューされたい人はお金を払ってくれ」というのなら、同時に「インタビューさせてもらうからお金を払う」という思考がなければいけないはずです。
つまり、無報酬で依頼するのが前提なら、「インタビューされたい人はお金を払ってくれ」というのは、論理的に破綻していると思います。それなら、「インタビューを依頼する時は報酬を払うし、依頼されたらお金を取る」とした方が論理的なのは明らかです。
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