どの国でも、出る杭は打たれる、ということわざがあります。何かに抜きん出ている人は周りから嫉妬されたり、憎まれる傾向がありますが、それは単なる妬みでしかありません。しかし、チャンスを掴みたいなら打たれてもそれでも出る杭になるしかありません。なぜなら、誰からも見つけてもらえないからです。
一方、日本人は何でも横並びが好きなので、世界的に見ても出る杭というのはさらに打たれやすくい傾向があります。良くも悪くも目立たないほうが平穏な人生を送りやすいと実感している人がいます。私は杭の長さなど見ません。なぜなら、比較したところでどうにもならないからです。しかし、多くの人は他人が自分と比べてどうなのかが気になるようです。だから必至でもがいてはみ出したし人を打ちつけたくなるわけです。
日本では、出る杭というのははみ出し者という意味もあります。当然、はみ出しているわけですからそう言われるわけですが、しかしそれは優秀という意味ではなく、異質という意味です。少なくても、周りよりも優秀ではみ出している人は異質なわけです。だから、妬みにより異質なものを排除しようとして圧力が生まれ、結果的に出る杭は打たれることになります。
逆に考えれば、型にはまらないはみ出し者は、良くも悪くも目立つものです。日本の社会構造の基本は、調和を乱すはみ出し者を極端に嫌う傾向があり、周りと違うことが叩かれる理由になっています。はみ出している杭は引きずり下ろそうとし、毛色が違えば強引に矯正しようとします。
また、限界まで消耗してやっと認められる風潮もあるので、泥臭い苦労をしてそれをアピールしてやっと成功を掴む豊臣秀吉のような成り上がりものが好きな人が多いのが特徴です。例えば、東大やハーバード大に入るのも努力が必要ですが、苦労アピールや成り上がりストーリーがないと受け入れてもらえません。
いくら努力しても、周りが苦労している認定をしてくれないとたまに反感を買うこともあります。そんな考え方では出る杭が打たれるのも当然です。だから苦労アピールをしながらストーリーを作れば好感度が高くなります。そんな風潮があるからこそ、目指すのは平均よりやや上になります。
このように日本人というのは非常にミニマムな世界で暮らしていることが分かります。面倒ですが、好感度の高い成功をしたいのであれば、恵まれない環境からの大逆転劇を世間に見せ付けなければいけません。つまり、無能ではないけれど有能でもない平均よりやや使える人間が一番無難だと考えられています。
このように、そのレベルを目指している人からすると、高みを目指してどんどん階段を駆け上っていく人はかなり目障りになります。だから引きずり落としたいというひがみ根性が生まれるわけです。要するに、出る杭を打つという考えは「皆と同じ平均にいろ」ということです。皆と一緒を心地いいと思っている大勢の日本人からすれば都合が良いわけです。
しかし一般的には、成功している人は全員はみ出し者で、上を目指して努力した人と見られる傾向があります。そういう成功した人はもともと平均を目指したことはなく、もっともっと上を目指していたからこそチャンスを掴めたわけです。出る杭を打とうとする人間は、その成功した人は努力や苦労をしていないと思っています。
だからいとも簡単に腹が立つわけですが、人並み以上の結果を出したいなら人並み以上の努力や苦労をすれば良いだけです。それなのに彼らは不公平、不平等だと常々思っているようです。誰にだって平均からはみ出して挑戦する権利を持っているにもかかわらず、それを自ら捨てておいて人を妬んでいます。
誰でもチャンスを掴みたいなら、平均より頭一個飛び抜けなくてはいけません。なぜなら、そうしないと誰にも見つけてもらえないからです。しかし、それは才能ではなく、本気で取り組めば誰でも平均以上にはなれるはずです。それは、多くの人間は平均に甘んじているだけです。
むしろ集団から抜け出すだけではみ出し者としてのポジションを確立できるわけですから、ライバル不在という意味で日本はチャンスが多い国ともいえます。あとは出る杭を打ちつける大多数の抵抗勢力を無視して大差で引き離すだけです。それだけでチャンスはどんどん転がり込んできます。
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