道端で大学生のグループや飲み会で騒いでいるサラリーマンたちを見ればわかるように、人というのは集まると周りへの配慮を失い、利己的になって行動する習性があります。
大学生のグループやサラリーマンたちは、「人が通る歩道で迷惑がかかりそう」「騒ぐのは恥ずかしい」など一人でいる時ならわかるはずの理性が働かず、知性を失っている時があります。これは飲酒によるものなのかもしれませんが、集団でいるということも原因だと考えられます。
実は、数年前から発覚し始めた東芝や神戸製鋼などの大企業の不祥事も同じ構造になっていて、企業は集団で行動しているからこそ組織を離れれば感じるはずの善悪の判断ができなくなってしまうといるように思います。
一方、このような状況で「おかしい」と主張するのが、組織の中で孤立しているようなタイプの方です。彼らは人から嫌われることや孤独になることを恐れないため、おかしいと思ったことを堂々と主張する傾向があります。
普段は面倒な人や要注意人物と思われがちですが、そのような少数派は組織の中のスパイスのような存在になり、周囲に問題を気づかせることがあります。このように、一人でいる時には自分で決めなければならないため、情報を集めて考えるようになるわけです。
そして、人々が集まるとお金の管理ができなくなりやすいというのがあります。それは、お金の使い方を自分の判断ではなく、グループの判断に委ねられてしまうからです。例えば、修学旅行や卒業旅行、会社の慰労旅行のようなグループ旅行でグループの人たちの意志が違うなら、それに合わせないといけないことがあります。
食事よりもホテル代にお金をかけたい人や周りの人がお土産を買っているのを見ると、買う予定がなかったお土産を買ったりすることもあります。しかし、1人なら周りに流されることなく、すべて自分で決めることができるのです。
私は、日本のような極端に同調圧力の強い社会構造の中で自分らしく生きるには、孤独に打ち勝つほどの「時間と空間の整理」が重要な能力になってくると考えています。
「時間と空間の整理」というのは、自分勝手に整理するという意味ではなく、自分の生き方を尊重することができる能力のことです。例えば、会社に行けば自分の業務目標を立てさせられ、それを達成するよう迫られますが、同僚や後輩が先に昇進すれば嫉妬します。
周りがキャリアの独身女性ばかりなら、自分も安心してキャリアを優先するでしょう。しかし周りが結婚すれば、遅れないよう焦って婚活をするようになるわけです。周りから、「結婚はまだか」「」子どもはまだかと急かされることもあるはずです。あるいは大学には行かないと、「子どもには大学までは行かせない」というように誰からも言われていないのに気にしてしまうのです。
このように、他人や社会から強いられたり、比較されたり、自分で勝手に比較して自分が望んでもいないのにそれが正しいと思い込み、本来は不要な不安や焦り、努力に巻き込まれることになるというわけです。多少はやむを得ないことですが、孤独を恐れて集まれば集まるほど知らないうちに周囲に迎合していくことになりかねません。
このような状態は、社会の価値観に強いられているだけで、自分の人生を生きていないことになっている可能性があります。そのような窮屈な生き方は人生を失うことに等しいと思うわけです。しかし、「時間と空間の整理」ができるようになれば、他人がどうであれ気にすることなく、自分は自分の生き方があると自信を持って進むことができます。
周りが走り出しても、自分はゆっくり歩き、周りが立ち止まっても、自分は進み、周りが右に曲がっても、自分は左を向くべきです。
自分の成長や生き方は他人に刺激を受けることもありますが、他人に乱されるわけにはいきません。なぜなら、世間様の定義する成功と、自分が考える成功は違うからです。誰かが求める幸せと、自分が感じる幸せは違うということです。
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