前回の続きですが、山一證券や北海道拓殖銀行のような終身雇用が当たり前の1997年頃には、バブル崩壊によって多くの大企業が倒産の憂き目に遭い、その時、特に山一證券の社長以下役員の方々の自責に対する姿勢がメディアなどで注目されました。
しかし、役員たちも、「悪いことをしたから償う」のではなく「部下のために自分を犠牲にする」というのもよくわからないのですが、悪いことをしたなら自分が悪いのだから「誰かのために罪を償う」とうのもおかしい話ではありました。
つまり、何も悪いことをしていなければ「自分は悪くない」で済むわけですが、この時代の方たちはそういうことではなかっのだろうと思いました。何よりも山一證券という共同体が大事であって、そこにおいて誰が何やらかしたのかは、大して重要ではなかったということです。
山一證券が倒産したのは1997年頃ですから、たった20年前の話です。ところが、今となっては江戸時代の侍の切腹のような覚悟を感じてしまいます。このように、20年前には、信頼した先輩についていくという関係が成り立っていたわけです。
今現在も一部ではこのような関係性があるのかもしれませんが、私には想像つかない信頼関係ではあります。こういう関係性を築いていた現在の40代~70代以上の世代の人たちからすれば、飲み会を拒否する今の若者の思考回路など理解できるはずがありません。
ではなぜ、20年前にはこんなにも濃密な人間関係が築かれていたのでしょうか?
それを考えると、会社自体が愛情をもつ対象であったことが理由にあると私は思います。現在、ほとんどの日本人にとって、会社とは愛着や愛情を持つ対象ではありません。単に、働きやすいかどうかが大事です。そしてお金、です。
ところが、定年まで勤める前提で会社に入社し、家族ぐるみで長く社員と付き合い、社内結婚も多い環境では、会社は居場所の全てになり、愛情の対象になったわけです。わかりやすく言えば、会社=家族、つまり社長がお父さんで上司はお兄さんであったというわけです。
ですから、お父さんやお兄さんが悪いことをしようと、それでも家族であって、山一證券という家族を支えるのは当然の義務とし、どのような形であれ家族は幸せでいてほしいと願うのもまた当然のことであったということです。
20年前、日本では会社というのはそれくらい大事な存在であったわけです。驚くべきことに、この時代の人々にとって会社とは、自分が生まれ育った家と同じように自分のすべてを受け入れてくれた場所、苦楽をともに過ごした場所と感じていたはずです。
何度も言いますが、これはたった20年前の出来事です。当時、アメリカで起業していた現在40代後半の私でさえ大きなジェネレーション・ギャップを感じてしまいます。ましてや長く企業に勤めた経験がない20代の若者には理解できないかもしれません。
実際、現代日本で30年同じ会社に勤める人などほとんどいないわけですが、今の20代も30年間同じ会社に勤めたら同じような愛着をもつのかもしれません。
ちなみに、当時40歳であった方は60歳と今も現役世代としてご活躍されているものと思われます。このような状況の中、この時代を生きた方たちが、「飲み会に来ない部下の扱い方がわからない」「お見合いを勧めたらセクハラと言われた」とぼやくのも当然のことです。
約20年間、一生懸命汗水たらし、まるで家族のような会社のために働いていたのに、子どもたち(今の若者)は一体何を考えてるのかさっぱりわからないわけです。むしろ理解しようとしても「老害」などと言われることもあります。
しかし、よく考えてみれば、今の40代はあと20年で60代、20代であってもあと20年で40代になるわけです。あと20年もすれば、ものわかりの悪い中年だと、これから生まれてくる子どもたちに言われるかもしれません。
安倍政権主導による政府の働き方改革など、これからの未来に目を向けることが多くなりつつあります。当然、未来は大事ですが、未来は過去の積み重ねであって、過去のことを何も知らないわけにはいかないはずです。
この世というのは、基本的にフラクタル構造ですから、「すでに終わったこと」と思う瞬間に全く同じようなことが起きることになるのは時間の問題であることは誰の目にも明らかです。そして、そこにはそれが正しいと思って一生懸命生きていた方もいました。
それを軽んじるということは、未来を担う次の世代から「現在」が軽んじられることが決定することになるということです。
いずれにしても、私財を投げ打ってまでも会社を支えようとした社長や社員など、そういう人たちが20年前に本当にいました。事実として、私たちはその線路の上を歩き続けているわけです。だからこそ、若者もこれまで40代以上が生きた時代をもう少し知る必要があると思います。
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