何かをやりたいと思っても、なんだかんだ理由をつけてやらないのが人間というものです。結局、「面倒くさくなった」「忙しくなった」などという言い訳を何度もくり返して生きているわけです。
そんな自分をなかなか好きになれるものではなりません。ところが、私自身、行動しない理由が思い浮かぶのは、そもそも本当にやりたいことではないから、と思うのです。
例えば、ようやく英会話に本気を出し始めたAtlasに通われる会員様と話していた時、その方が言ったことは、「やらない理由を見つけるのは簡単です」という言葉でした。それが私にはなんだか妙に心に残っています。
今日は電車が混んでいたから、明日は意味がない会議があるから、だから今日は英会話レッスンをキャンセルしよう、と思うことがあるでしょう。
このように、やらない理由というのはいくらでも見つかるのですが、英会話だけではなく、今の仕事が嫌でも転職しなかったり、将来のためにとっておいた方がいい資格があっても勉強する気になれないなど、やらないための言い訳はいくらでもできるということです。
結局、何をやることが面倒くさいということもあり、何かを変えるということで、口ではやる気を見せていても、たいていの人はどこかで面倒くさくなり、やらない理由を見つけては自分を納得させて途中で挫折してしまうものです。
言い訳ばかりし、結局のところ何もすることなく、最後まで意志を貫けないというのは中途半端な人間がすることです。だから「何をやっても続かない」と落ち込むこともあると思います。特に、熱しやすく冷めやすいタイプの方は、これまでも様々なことに手を出してはすぐにやめてしまったのではないでしょうか?
しかも、そのようなタイプの最も悪いところは、やらない理由だけはきちんと用意するところです。英語を勉強していない自覚はあるものの、言い訳をする建前だけを用意しているあたりは本当に悪いことです。
私はそのようなタイプの方をこの20年もの間、ずっと見続けてきました。そして最近、それは「本当にやりたいことではなかった」ということがわかってきました。なぜなら、本当にやりたいことというのは、リスクを取ってでもやるからです。
サラリーマンを辞めて起業したり、借金がある人と結婚したりなど、リスクと情熱を天秤にかけ、それでも情熱が勝るから本当にやりたいということと言えます。そう考えていくと、頭にやらない理由が思い浮かぶ人間というのは、ただやりたいことがないだけではないでしょうか?
本当にやりたいことなら、言い訳など一言もなく、ただひたすら前進していくものです。私が自分の意思で長年暮らしたアメリカを離れ、日本に帰ってきてすぐに始めた日本初の会員制語学スクールを開校した時、朝7時から夜0時まで英語を教えていました。
そして、わざわざ朝5時に起きてレッスンの準備をしていたのは寝てる暇があったら生徒と交流していたかったからです。30歳近くで日本に帰って来るよりもアメリカで会社運営をしていた方がリスクは低いわけですが、それでも日本に帰ってきたかったからです。
本当にやりたいもののためには、リスクがやらない理由になることはありません。客観的にやらない理由は理解できても、それがやらない理由になりません。そして、それが本当にやりたいことになるということです。
いつもどうしても挫折してしまったり、長く続かないことで、そんな自分に嫌気がさすこともありますよ。しかし、それは本当にやりたいことではなかっただけのことです。当然、人生はやりたいことだけで成立するものではないため、理由を付けては何もしないというわけにはいきません。場合によっては、やりたくないこともやらなければならないこともあるわけです。
繰り返し言いますが、自分の意思で始めたはずなのですが、いつの間にかその気になれないというのは誰にでもあることです。しかし、それでもやらない方がいい理由が思い浮かんで、やる気になれない。そういう時、自分を責めがちですが、やらない理由がある時点でやりたくないわけです。
本当にやりたいことなら、やらない方がいい理由は思いついても、やらない理由にはなりません。なぜなら、それでもやりたいことだからです。それ以上も以下もありません。
自分の意思で続けられなくても、いつかその何かを見つけることができたら、あなたの住む世界が変わるかもしれません。もし長い人生の中で見つからなかったとしても、それが悪いわけでもないように思います。
3日坊主も100回やれば何かが見つかる可能性があり、そんなご立派な意思がなくてもそれで生きていけるのならまだ余裕があります。いずれにしても、本気でやりたいと思った瞬間、他者がいくら止めてもどうせやることになるはずです。
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