日本の多くの若者の理想として、スーツを着こなして、高級車に乗り、外国語を自由にいくつも操り、様々な場所に顔を出す行動的な人材に憧れる傾向があります。
特に女性の場合、ネイルやタイトスカート、高いヒールで会議に出て、男性上司を唸らせるような、まるで海外ドラマに登場するような気の強い女性になりたい、というイメージがあるようです。ただ、もしもそうなれたとして、本当に幸せになれるのでしょうか?
そう考えると、答えはNOです。自分の能力の低さと器の小ささに気づいてしまった今、それが不相応な高望みであり、自分の道ではないと一刻も早く理解するべきです。
つまり、理想的な自分が、あなたにとって最高の姿とは限らないわけです。もっと言えば、全ての若者が理想の自分を目指す必要もありません。なぜなら、理想というのはあくまで妄想でしかないからです。
私自身、そう思ったことがあり、能力も器もたいしたことのない平凡な人材として分相応に生きていこうと考えたことがありました。大勢を巻き込んでムーブメントを起こしたり、知名度をアップさせてインフルエンサーになりたいとは思いません。
自分の能力も器もたかが知れていると悟ることからこそ、できるだけ大きな旗は掲げず、小さな積み木を積み上げていくことです。ちっぽけでも、コツコツと確実にこなしていきます。大きなことができる人材ではないからそうするしかないわけです。
これは諦めに聞こえるかもしれませんが決してそうではなく、自分を知った上で現実的にできることを実践し、現実的に幸せになる方法です。自分を知らず、自分にはできないことをやろうとして潰れるより確実な幸せへの道です。
理想である世界を股にかけるようなビジネスマンやキャリアウーマンになれても、幸せを感じる人は多くはありません。だからといって落ち込む必要などなく、これでいいと考えるべきです。
私は、若者に対して否定的なことを伝えたいわけではなく、むしろなれるのならなったほうがいいと考えています。
ただ、理想の自分ではなくても幸せになれるということを伝えたいと思っています。なぜなら、私の若い頃を考えても、あまりにもかけ離れた理想を追うことばっかり言うことに違和感を感じているからです。
夢を見るだけならタダなのですから、いくらでも理想の自分像を描き、可能ならば集中して達成することです。しかし、現実の自分を知ったとしても自分にがっかりする必要などなく、それならそれで分相応の幸せを見つめていくことです。
結局、なりたい自分になって不幸になるよりも、なりたい自分には追いつけなかったけれど今は幸せ、という方が人生そのものは充実するということです。
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