例えば、アメリカ人にその英単語の意味を聞いても、説明のわかりやすさは人によって大きく異なります。説明が得意な方は、誰もが知っている単語で説明してくれます。そして、例え話で理解の手助けになるものをすぐ用意できる特徴があります。
ところが、説明が苦手な方というのはそうはいきません。なぜかと言えば、本人がその言葉を理解できていないからです。理解できていないうちは説明などできるわけがありません。
母国語の能力が高いというのは、言葉を操る力が高いということでもあります。それは、言葉をどれだけわかりやすく説明できるか、で判定できるようになりつつあります。そして、この力が高ければ外国語学習にも役立つことになります。
「子どもが苦手」だという方のパターンとして考えられるのは、「子どもがわかるように説明する」ことが苦手ということです。子どもの「なんで?」に対し、わかりやすい言葉を用意してあげられず、コミュニケーションを取れないという側面もあるものと思われます。
そもそも言語というのは、コミュニケーションのツールの一つです。言語の背景には、その国の文化や習慣、生活、宗教観などがあります。だからこそ、「日本語が話せる=日本語を理解している」、そして「これ以上日本語を勉強する必要はない」といはいかないわけです。
日本語を理解した上で、日本語の背景にある日本という国を知っていくことが、いわゆる「国語」という教科を小学生の時から学んでいる理由となっています。日本という国を知らなければ、他国についての理解ができないのもその理由があるからです。
まず、日本という国について知らない方というのは、日本と他国を比較することができません。また、英語を話せたところで、外国人に何かを聞かれたところで答えることができないわけです。このように、何においても基礎となるのは母国であり、母国語であることは、海外に長く住んでいて強く感じることです。
要するに、英語を話せるようになるには日本語力が必要だということです。だから、英語か日本語かどちらを先に始めるのべきかは、まずは日本語ということになります。それには日本の正しい歴史を学ぶことです。
英語を筆頭に、外国語を学ぶことも大切ではありますが、それは母国語という揺るぎない基礎ができ上がってからでも遅くはありません。文科省のシナリオのように早期教育を始めても何も変わることはなく、外国人英語教師を招いたところでどうにもならないというのが現状であるわけです。
繰り返しますが、とにかく、まずは日本語力をもっとアップさせることです。さらに国語に価値を置いて、日本語を使いこなす練習をしていくほうが日本の子どもたちにとっていいことであるというのは、誰の目にも明らかです。
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