ユーチューバーが職業として認識され始めたのが3年ほど前のことですが、今や会社経営者でさえ動画をアップしているわけです。
動画というのは、早口で話せば情報量が多くなり、一度にたくさんのことを伝えることができます。しかし、本当にデジタル・コミュニケーションの時代の中で、未だに主流であるテキスト文章よりも動画が多くなることは決してありません。
なぜかと言えば、動画にはテキスト文章とは異なるメリットがあり、地上波テレビを見なくなった層が動画に流れたという側面があるからです。動画という媒体は確実に広がっていますが、文章がこれからも主流なのは明らかです。
そのような状況の中、動画のデメリットになるのは、性質上、目と耳を両方同時に使わざるを得ないことです。文章なら目だけで読め、ラジオなども耳だけで聞くことができます。ところが、動画は目で画面を見つめながら耳で音も聞き取らなければなりません。
実際に、動画は画面から目を離すことができないだけでなく、話をしている相手のペースで進むことから、意外とそれがストレスになり、結局、自分のペースで読める文章の方が好まれているのではないでしょうか?
また、文章ならば読みたいところだけ読めますが、一方の動画は見たいところをピンポイントで押すことができないということもあります。他方、音声だけであれば聞きながら何かをすることができます。
動画は、娯楽として楽しむには物理的に難しい面もあり、一部の層だけが文章を読まずに動画だけを見ている可能性があります。私は、動画自体を否定しているわけではなく、報道番組の映像の方が新聞の記事よりもリアルであることは間違いありません。
その他、英会話レッスンやダイエットやエクササイズ、料理など、文章や画像よりも圧倒的にわかりやすいのは動画です。つまり、文章で伝えにくいことを動画にしたり、動画に最適な企画であれば、動画を利用するべきであるということです。
ただし、文章は楽しみ方に自由度が高いことは明らかです。外出中でも他人に音が聞こえない環境で動画を見続ける時間的余裕があり、何の作業もせずその動画だけを見る環境がなければ、難しいわけです。
実際に、「文字を読むのが苦痛な方が動画に走っている」というコメントも増えており、そういう方にとって、文章を読むことは娯楽になることは永遠にないと思うので、動画だけを楽しいというのは理解できることです。
ところが、本来文章で読んで理解すべき内容も動画で済ませてしまうのであれば、今後さらに読解力を低下させることは明らかです。「動画であれば情報を受け取れやすい」のかもしれませんが、むしろ「読むことから逃げている」ことにもなります。
これも、それぞれで選択していくことかもしれませんが、何でも動画しか見なくなればますます日本人の多くが何も考えられなくなると思います。
動画のほうがわかりやすいですが、文章で理解できる能力は当然必要であって、動画が本来カバーする必要のないジャンルさえも面倒臭いことを言い訳に動画にすると、読解力の回避傾向が強まるのは当たり前のことです。
将来的に、動画に慣れてしまった今の子どもが大人になる10年後は、私自身、どういう状況にいるかはわかりませんが、その子たちを満足させられるコンテンツを生み出すのは同世代であることは間違いないでしょう。
私は、たいして好きでもない動画でメッセージをアップする必要などないと考えていますが、興味がないならこのコラムを読む必要がないわけで、要するに、動画は好きな方がつくって、それが好きな方が楽しむものではないかと思うわけです。
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