TOEICの試験会場に行くと、会場周辺にはいろいろな声が聞こえてきます。中には必勝マニュアルを儀式的に行っている人やビルの中にも、なにかブツブツ唱えている受験者がいるものです。これはもしかして、いい点を取るための儀式だったりするのでしょう。
ようやく自分の席を見つけ、周りの様子を伺うと、ギリギリまで参考書を開いている人が結構います。1点でも多くスコアを取ろうとしているのでしょう。企業で働く友人や夫に聞くと、TOEICの点数が目標まで達していないと減給されたり、昇進できなかったりする会社があるのだそう。
それも誰もが知っているような大企業の評価制度だから、点数だけのために必死にならざるを得ないのでしょう。そんな理不尽な状況に追い込まれているビジネスマンは案外多いのかもしれません。
そういえば、友人がTOEICのことで恐ろしい話をしていたのを思い出しました。なんでも教職免許を取得する関係で、TOEIC講座を受けた話です。その講座の先生は厳格な指導をする人で、発音から文法から、微塵も間違いは許さなかったそうです。
先生が怖くて怖くて、授業の前日の夜は不眠になったこともあったそうです。クラスメートの中には、授業前に吐き気をもよおす人もいて、それでも最後にはみんな「その先生の授業を受けて良かった」となるそうです。
でも、それってドメスティックバイオレンスに似た構図じゃないですか。受講生の自尊心をズタズタにして、心理的に不安定にすることによって、講師の立場を優位にするということでしょう。しかし、TOEICとはなんと恐ろしいテストなんでしょう。
これは数年前の話です。英語といえば TOEIC ということで、どんなテストなのかなと興味本位で受けたテスト会場で、私は異様な光景を目にしました。それ以来、日本の英語教育について考えるようになりました。そうすると、次々にその歪んだ姿が見えてくるようになりました。
まず書店の英語学習書コーナーには、似通ったコンセプトの啓蒙書や参考書が山のように並んでいます。中学の先生は、カタカナ入りの辞書を最強だと推薦しています。英語を習い始めた中学生は、テストで「I」を「私」と答えたら?だったそうです。正解は「私は」だそうです。
大学で講師をしている友人は、自分の専門に関する講座ではなくTOEICの授業をやるように言われたと嘆いています。小さい子どもを持つ友人は、ディズニーの英語学習セットを計100万円で買ったけれど、使いこなせなくて押し入れにしまってあると言います。オークションに出したいと話していました。
小学校の英語活動を見に行くと、先生が鬼のような形相になって、一人一人の子どもに「What's your name?」と質問して回っています。生徒がスピーチコンテストで入賞したことを無邪気に喜ぶ学校の先生たちがいましたが、スピーチ原稿の多くは、ネイティブ先生による大幅な修正が入っているものです。入賞した生徒の多くは、海外経験があったり、英語スクールに通っていたりで、学校以外の場所で英語力をつけているようです。ということは、その入賞は学校の教育成果ではないことがわかります。
高校ではコミュニケーションという名の授業がありますが、実際にやっていることは文法のお勉強でしかありません。誰の目から見ても指導要領違反ですが、日本の英語教育を取り巻く状況は、歪みきっています。
そこにあるのは、教育といいながら誠実さの欠片もないビジネスや既得権益にしがみつく業界や専門家たちです。そして、伝統的な手法にしか価値を見出せない思考停止した先生たちしかいないのです。まともな実践や声などは、かき消されてしまっているのが現状です。
こうした実態を見聞きするたびにネットなどを使って発信してきたわけですが、そこからわかってきたのは、こうした状況を「なんだか変だ」と感じている人はかなりいるということです。ただ残念なことに、疑問を感じている人は多くいても、英語を使った経験や使えるという確固とした自信がないがために、意見することができないままになっているのです。
そこでこのコラムでは、早期教育から小中高、大学、ビジネス英語まで、この数年間に知り得たことの断片をまとめ、多くの方に現状を知ってもらおうと試みました。こんなことあるあると思われる話に疑いをもたれる方もいらっしゃるかもしれません。まずは小さなお子さんや保護者が置かれている状況からみてください。
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