英語教師の友人が、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長の講演を聞いたそうです。以下、レポートです。 都研修センターの主催で、参加者は都内の中高英語教員。
100名近い参加でびっくりしましたが、半分以上は10年経験者研修であり、強制研修です。案内には講義・演習とありましたが、実際はほとんどが一方的な講義でした。内容に特に目新しいものはなく、要するに「日本人の英語力が低い。今までの英語教育ではダメだ」という話です。研修の担当者は長きにわたって日本の英語教育をリードされているのでしょうが、ダメ続きの現状に何の責任もお感じにならないのでしょうか?
さて、英語教育に関する内容は、特に異論はありませんでした。真剣に英語教育に取り組んでいればあたりまえの話ばかりだったのです。しかし多くの参加者が居眠りしていました。知り合いの2年目の教員にも会いましたが、「大学院でやったことばかりだったから、つい寝ちゃった。」と言っていました。
一方、学校教員を揶揄した自虐ネタで笑っている教員も3分の1ほどいました。保護者が見たらどう思うのかなと複雑な気持ちになります。そして注目すべきは、英語ムラの実態をさらけだしたということです。講演がはじまってすぐこんな話がありました。
2003年に文科省が「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想に基づく政策を実施しましたが、今結果を見ると、日本人の英語力に変化は全くありません。研修担当者はこの戦略構想の研究グループにおける主な研究員です。文科省のHPにしっかり書いてありました。ベネッセのホームページによれば「第1研究グループ・リーダー」となっています。そんな責任ある役についていて、「全く効果がなかった」とは、まるで他人事のようです。
この戦略構想には莫大な予算がつぎ込まれました。その予算はどこに行ったのでしょうか?教員への研修の講師料や、研究費として、関係者の財布に入ったのでしょうか。ベネッセ(ベルリッツ)やイーオン、ECCなどその他もろもろの業者からの講演料や原稿料もありそうです。税金をたくさん使って、10年後の今、あっけからんと、「全く効果がなかった」ということなのです。
さて、ここからがまやかしの始まりです。「全く効果がなかったから、今はこんな政策を考えている」ということで、新たなものを開発という流れになるのです。まずはCAN-DO リストの登場です。「英語で○○ができる」のような項目がズラッとあって、それが達成できているかどうかを評価するというものです。
例えば、「誕生日プレゼントをもらって感謝を表すことができる」という基準があったとすれば、どんな表現を使ってもいいからとにかく感謝を表すことができればよい、と。 そして、評価とくればテストです。予想通り、4時間にわたる講演の最後はテストの話になりました。それも、研修担当者自身が「英検協会」とタイアップして作成中の TEAP というテストの話です。有識者会議の一員である英語講師もこの宣伝に一役買っています。
さて、講演が終わった後の質問コーナーで、私はこういう質問をしました。「講演の中でテストの害についてお話されていたが、その点は私も同意する。生徒はテストなんかなくても英語へのモチベーションは高い。逆にテストが障害になっている。しかし、結局最後はテストの話になる。予備校でテスト対策の講座ができ、学校の授業もテスト対策に役立つ授業ということになると思う。これでは何も変わらないのではないか。いっそのこと、入試から英語の試験を外す等、思いきったことはできないのか。」
それに対する、研修担当者の回答は、
① 私もテストはないにこしたことはないと思う。しかし、一つの大学で1万人以上の受験者がいるような現状では、やはり受け入れる人とそうでない人を「振り分ける」必要があるので、やらざるをえない。
② テストは標準テストであるので、何度も受けられる。また、実質的な英語力と一応結びついている。テストは悪だが、悪の中でもよりいいものを、ということで作った。
③ 韓国でもテストが開発されたが、大統領が代わって今は消滅の危機にある。アジアでまともなテストを開発できるのは日本だけだ。英検は、アメリカやオーストラリアの大学入学資格としても通用している。英語圏以外で作成したテストで、英語圏の大学に認められているものは英検だけである。
④ TOEIC も、スピーキング・ライティングのテストを受検する人は少ない。しかし、テストは4技能を全部評価項目に入れている。
さて、みなさん、この回答の中には矛盾点が多くありますがわかりますか?
① 「英語はスクリーニングのためにある」と、そうお認めになっています。英語教育はコミュニケーションのためと言いつつ、本当の狙いは選別の道具ということです。それにしても、大学に入る以前に高度な英語力を求めなくとも、英語以外の教科で難関入試を突破した優秀な生徒に対して、氏の英語教育理論をもって教育すればグローバル時代にふさわしい英語力を備えた人材は、簡単に育成できるのではないでしょうか。英語教育学の看板は何のためにあるのでしょう。
② 「何度でも受けられる」の真意は、「何度でも受験料を払って受けてください」でしょう。ビジネスとしては美味しい話ですが、受験生の、保護者の負担は、どうなるのでしょうか。
③ 英検の質の高さを主張されていますが、2年前に韓国で行われたTESOLワークショップで氏の話を聞いた、大学院で学ぶ友人によると、そこでは「英検よりもTOEICの方がまだましだ」と述べられていたそうです。
④ TOEICにはスピーキング・ライティングテストもあります。それを受けさせればいいのでは。ところで、日本でも英語教育に関わる数々の政策が消滅していますが、その多くに研修担当者も関わっています。学習指導要領ひとつとっても、この20年で「オーラルコミュニケーション」が導入されて消滅し、 「リーディング」「ライティング」が導入され消滅し、 「コミュニケーション英語」「英語表現」が導入されました。
これも遠からず消滅でしょうか。 消滅といえば、「英語が使える日本人育成のための行動計画」も、何の効果もなかったとお認めになりました。生徒の英語力を検証する前に、文部科学省による教育政策の検証が必要です。 |