私たちは、様々な問題を抱えている語学学習者を相手に、紆余曲折ありながらも学習のためのアドバイスを日々行っています。
世の中はグローバル時代とか言ったところで、地方都市にある企業が海外進出するというのはまだまだ特殊な事例であるかもしれません。
先日、ルース・ベネディクトというアメリカ人の書いた「菊と刀」という本をようやく読み終えることができましたが、今でも日本文化論の古典的名著であることから、日本の言論人もすでにこの本について言及しているようです。
そのルース・ベネディクトという人物が伝えたいこととは、「アメリカという国では一代で巨万の富を得るのはアメリカンドリームの実現であり、賞賛されるべきことであるのに対して、日本では明治維新後に急に巨万の富を得た者は成金と呼ばれて庶民から蔑まれている」ということです。
つまり、アメリカと日本では完全に大衆の反応が真逆になっているのは、当時の日本は頂点である皇室から武士、農民まで明らかなカースト制度が存在する階級社会であって、それぞれの階級に与えられた特権を逸脱しようとする者は罰せられ、だから成金は庶民から蔑まれたというわけです。
この本を読んで、私が特に興味深かったと感じたのは、最近よく理由もなく叩いてくる名前も知らない「人間」(人ではない)たちがいることです。例えば、英語を流暢に話すだけの私に対して、「階級を逸脱した特権を得た」としてやんわりではありますが、攻撃的な言葉をかけてくることが増えた気がします。
一方、完全に売国奴化した安倍政権以下の政治家や官僚、そして一部の大企業のように、そのような処遇を与えた「お上=国(政府)」を非難しようとは全くしないわけです。仮に私が階級を逸脱した特権を得たと思うなら、私にそれを与えた「お上=国(政府)」にも多少は非難するのが筋ではないかと思いますが、多くの日本人サラリーマンはそのようには考えていないようです。
さて、ここまで「語学と日本人の関係性」について表現してみようと試みましたが、結果的にどうしても日本にいながら語学を習得するために、会社員は自分の時間を削って苦痛を伴う努力を強いられている、というような書き方になってしまいました。
私自身、このコラムの内容が多少リベラルになり過ぎてしまったことが少し不本意ではありますが、「会社と社員」という労使間の関係にフォーカスすることで、語学学習そのものの楽しさという話が出てこなくなってしまうことに途中で気付いたわけです。
実際に、家父長制度を会社組織に置き換えたような年功序列や終身雇用の風潮が未だに根強い会社であっても、社員の語学力向上を会社側は望んでいることが分かりました。
ところが、終身雇用を前提とした会社のルールによって知らず知らずのうちに社員を縛ることになり、語学留学などで社員が自主的に語学力を向上させる機会を社員から奪っている形になっていることも分かりました。
一方、会社では中途半端な語学研修プログラムを社員に提供していますが、これで会社が思い描いているような語学力を社員が得るような結果にはなっていないこと明らかになってきました。
事実として、全ての日本企業が外資系や楽天、ユニクロのようなグローバル企業になる必要はなく、私個人としては日本企業の良いところをこれからも大事にしてほしいと思っています。
それによって、もう少し社員たちにそれなりの自由を与え、会社の外にもチャンスを与えてあげることで、少しでも悪循環から抜け出せるのではないかと思うわけです。
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