最近、インターネット内で人々がお互いにギスギスしている理由を考えてみました。どこを見ても炎上記事やそれに対する批判など、不用意な発言を探しては批判し、それを叩いては炎上(Fire)するというパターンが繰り返されています。
インターネットはまるで情報のゴミ溜めになっているように感じます。なぜそうなっているのかと言えば、それはインターネット上には政治問題や差別、ハラスメント、ナショナリズムなど下手に手を出すと炎上してしまうような話題があるからです。
最初は様々な立場の人が同じくらいの頻度で発言しますが、過激な意見の中の人には、「自分と同じ意見でなければ敵認定し、そして敵は排除すべき」という人もいて、中間ぐらいの立場の人たちを両極端の立場の人たちが敵とみなして攻撃するようになるわけです。
そしてついにはバランスの取れた立場の人たちが沈黙することで、自分が正義だと信じてやまない人たちだけが残ることになります。こうして中間的な立場の人が沈黙することによって、ある話題で過激な意見だけで溢れかえるようになります。
インターネットがいかに荒れて醜くても、実は優しく常識的な人はどこかに隠れているということが分かってきました。特に最近は、インターネット上では、どちらでもいいことを取り上げてどちらが正義だ、悪だ、と叩きあっているように思います。
そして、優しい常識人は沈黙することで、極端な人だけが目立つというわけです。歴史的にもこのような手口が多用されてきたことが分かります。そもそもケンカを煽る、というのは争いのないところに争いを生み出して、全体を統治する分割統治方法のことです。
例えば、1980年代後半まで続いた資本主義(アメリカ)VS共産主義(ソビエト)、右翼VS左翼、自民党VS民主党、現在の中国VSアメリカなど、どちらでも良いことを取り上げて違いを際立させてケンカにさせるというものです。そして、両者にお金を貸して、軍隊を貸してコントロールしていきます。
本来、仲間なはずの庶民同士はすっかり騙されてケンカばかりさせられることになりますが、今日まで日本人は和の精神を大事にして暮らしてきました。しかし、すっかり騙されてしまった一部の日本人が無駄に騒ぐおかげで国中が暮らし難くなっています。
そのような中、優しく静かな常識人は息をひそめていますが、その沈黙している常識人は今年から表に現れるようになりました。正に、偽者は表舞台から消え、本物だけが注目される時代に転換されつつあります。
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