ドイツ語の「ゲゼルシャフト(Gesellschaft)」というのは、会社のように利益や機能を追求するための集団のことです。一方、「ゲマインシャフト(Gemeinschaft)」というのは、ホッとできる家族や仲間、近所の人たちの集団のことを意味します。
しかし、戦後は社会的な発展によって、世界的にゲマインシャフト(家族や仲間)からゲゼルシャフト(企業や会社)中心の社会になってきました。簡単に言うと、戦前は家族や仲間で仲良く生活していましたが、高度経済成長を進めて行く度に非効率なことに気が付いたというわけです。
家族や友人、そしてご近所単位で生活していた頃は、向き不向きや好き嫌いはあってもほとんどがその中で足りており、コミュニティ-の外との交流や交易もありましたが、基本的にコミュニティーの中で生産し、消費するというサイクルであったということです。
このように、富が蓄積されていない状態では、向き不向きや好き嫌いがあっても家族やコミュニティ-内で細々とやるしかありませんでした。しかし、商売がうまくいくことによって富が蓄積してくると設備投資をしたり、家族が不得意とする分野を外注できるようになりました。
これが、今までは家族や仲間、そして近所内だけで生活していたところに企業や会社、つまり利益集団が入り込んだ瞬間でした。血のつながった家族や気の合う仲間、そして近所に住んでいるからではなく、機能を外に求めだしたというわけです。
そして現在、多くの日本人が何の血縁も地縁もない会社で働いている現状があります。今、働いている会社には親戚縁者や友達はいなく、大都市であれば電車で1時間もかけて通勤してる人が多くなっています。
例えば、上京する理由に就職があります。縁もゆかりもない東京に仕事のために出ていく時点で、ゲゼルシャフト(利益集団)の生活を目指すということになります。こうして多くの現代人は地縁も血縁もない利益・機能集団でひたすら仕事をすることになります。だからこそ、現代企業の効率性は高く、常に社員の募集をかけているわけです。
商売によって富の蓄積を行われることは重要なことです。なぜなら、富が蓄積されてくると様々なことを人は考えるようになるからです。このことは、富とはお金だけではなく、お金自体があまり世に出回らなかった時代では生産物そのものが富という価値観がありました。
つまり、小麦や米が富として蓄えることができるというような重要性に気がつくことになると、湿気に強い倉庫を作ったり、数量を管理するようになったわけです。数量を管理するには記録が必要ですが、こうした中で文字が生まれたという説があります。
逆に、富が蓄積されないということは、毎日、毎月、毎年同じことの繰り返しでしかないことから、これでは発展の余地はないというわけです。しかし、お金が世に出回りすぎる、つまり、中央銀行が債務を大量に発行しすぎると、現在のような企業、つまり利益集団になってしまい、機能的ですが冷たくて息苦しくなってしまうということです。
結果的に、企業は仕事をするための集まりでしかなく、だから人間的に冷たいも温かいという議論もされなくなり、各自がただ与えられた仕事を果たす(自分の仕事をする)ことが求められているだけです。
だからこそ、企業も事情が分かっているわけで、多少の人間的な温かさや仕事以外のイベント(飲み会や社員旅行)などを未だに残しているということでしょう。ただ、飲み会や社員旅行の是非はあり、人間の集団である以上、完全な機能体になることはなく、もしそうなったらかえって非効率になる可能性もあるということです。
太陽黒点がゼロになりつつある現在、明らかに地球が寒冷化していることから、大企業を中心にデフレ縮小化(需要減)とインフレ経済化(物価高)のダブルパンチにより、利益集団から人間関係を大事にする集団に変容するしかないように思われます。
これまでは便利な世の中でしたが、すでに近代化に疲れ切っているように見えるのも、ゲセルシャフトからゲマインシャフトへの転換が進んでいるようにも考えられるということです。それでも、お金だけを求める「人間」というのは、わざわざ死ぬために生きているとしか思えないのは私だけはないはずです。
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