今回は、日本に帰国したばかりだからこそ気付いた、日本人の外国語について書いていきたいと思います。
一般的に、日本人というのは、大きい(マクロ)から小さい(ミクロ)へ向かうという枠組み(フレームワーク)をあまり意識することがなく、この逆の方向へ向かったり、話がコロコロを変わる方が割と多いように思います。
これは日本語自体の曖昧さや、社会的に日本語を流暢に話せると思い込んでいることが当然であることが挙げられます。ほぼ単一民族文化であり、これまで異文化との交流がほとんどなかったことに、こうした枠組みができあがった背景があるのではないでしょうか?
これに対して、まず結論(マクロ)から話す、という欧米人的な会話スタイルというのは、互いに運用能力が不十分な言語でコミュニケーションを取る必要がある場合、できるだけ自分の言いたいことを相手に伝えたり、少しでも結果を自分の望む方向にもっていくための技術として発達したのではないかと思うわけです。
私自身、日本人が英語で話そうとしている時によく感じることは、「この人は今、日本語で話したいであろうことをそのまま英語に置き換えて話そうとしている」ということです。私も日本語のことをよく知っているので、そうなってしまうことは分かりますが、まずは結論を先に言ってほしいわけです。
このような状況の中、外国人は私よりもさらにストレスを感じていることがわかります。やがてストレスを感じている外国人の空気を感じながらも何とか頑張った挙句に、結論にたどり着く前にどこかで語学力の限界を感じ、最終的には諦めてしまい、話が空中分解してしまうことになります。
結局、結論だけでもまず先に言ってしまえば、最終的にどうしたいかだけでも伝わる上に、どのような結論に向けて話したいのかを外国人が理解することで、そこまでストレスを感じることなく、最後まで見守ってもらえるかもしれません。
アメリカだけではなく、イギリスでも大学の授業を受けてみて感じることは、話を構成する能力が当たり前のように備わっていることです。当時、大学の授業には日本人や韓国人留学生もいましたが、特に日本人留学生は話の途中で空中分解することが目立っていた記憶があります。
また、大学付属の語学学校にチューターとして参加したことがありました。ヨーロッパから来た留学生の語彙力や文法知識は、明らかに文法と単語ばかり偏重してしまう日本人留学生よりも下でしたが、話の途中で空中分解することはありませんでした。
ヨーロッパ人留学生が言い淀む時というのは、単語が分からないか、言い回しが分からないとか、あるいは動詞の活用が分からないといった、純粋な言語の運用能力の問題であって、話そのものはきちんと構成されており、たどたどしくても聞いてる側はストレスを感じることはなかったというわけです。
なぜなら、ヨーロッパ人留学生は、「英語で話す時は母国語で考えずに英語で考える」というルールをしっかり守っているからです。つまり、単に母国語→英語の変換によって生じる効率の問題だけではなく、自分の英語力で説明できる範囲のことだけで思考できるので空中分解しにくいということです。
結論(マクロ)から概要(ミクロ)へ、という話し方のスタイルには、英語を話すためのスイッチが切り替わるという側面もあります。いずれにしても、「英語は英語で考える」というのは、かなりの学習時間が必要です。
実際に、なるべく結論から話したり、自分の語学力でできる範囲で説明することを心掛けるだけでも外国人とコミュニケーションが取りやすくなるわけですが、それができるようになる頃にはすでに英語も流暢になっているかもしれません。
そして、海外留学や海外駐在、長期旅行などで久しぶりに日本に帰国した方がよく直面するのは、日本人とのコミュニケーションからストレスを感じることや、違和感を理解してもらうには、生意気な言い方になりますが、外国に一度行ってもらうしかないということです。
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