今、ヨーロッパ全土で巻き起こっている「反グローバリズム」というのは、一見ナショナリズムの高まりによって国家の主権が強化される秩序のように見えます。
主権を強化した国家の集合体が世界秩序の前提であるわけですが、そうした世界秩序が安定するのかどうなのかはまだわからないというのが現状です。むしろナショナリズムの高まりによって第2次世界大戦前の1930年代のような状況になることも考えられます。
一方、アメリカではヨーロッパに起源を持つキリスト教の価値観を重要視し、白人至上主義を標榜する危険な集団が存在しています。このような集団というのは、グローバリズムを否定する暴力的な表現であり、安定した秩序のイメージを持つことはできません。
2017年にトランプ政権が誕生してからというもの、アメリカのに極右勢力は拡大しているようです。テレビや新聞など、社会的な影響力のあるメディアにも顔を出しつつあります。しかし、毎日のようにアメリカに流入してくる外国人移民から白人種の優越性とキリスト教文化を守るという、「反グローバリズム」の一部分でしかないように思います。
むしろ、グローバリズムの結果として経済的な格差がもたらされたわけですが、その社会矛盾の受け皿になっているのが、実はキリスト教の「福音派」と呼ばれる教会です。福音派は、アメリカで生まれたプロテスタント教会です。
しかし、福音派という統一した宗教教団が存在するわけではなく、アメリカ各地で起こった原理主義的な教会の総称です。実は、私自身も20代の時にサンフランシスコにある日系人のバプテスト教会に通っていたことがあります。
バプテスト教会以外にも多くの福音派と呼ばれる教会がありますが、アメリカ本土では約8000万人も通っているとされています。つまり、アメリカ人の4人に1人が福音派ということになります。その教義としては、聖書に記されていること事実として受け入れるという特徴があります。
福音派は、アメリカ最大のキリスト教派であり、そのため強い政治的な影響力があります。だからこそ、福音派はグローバリズムによる社会矛盾の受け皿になっているというわけです。しかし、このことを理解するためには、アメリカという国家のメンタリティーを知る必要があるように思います。
正しく歴史を振り返ってみると、アメリカにやってきた最初のヨーロッパからの移民は、1642年にニューイングランドに上陸した「清教徒(ピューリタン)」であるとされています。彼らは「英国国教会」に弾圧されたプロテスタントの異端派で、現在の「長老派」として知られています。
実は、「長老派」はキリスト教の中でも最も知的な教派で、神と信者を媒介する聖職者の存在を一切認めなかったという時代がありました。神の前ではすべての人間は平等であり、その仲介者としての聖職者の存在は不要だと考えたということです。
一方、個々の人間は神との間に契約があり、この契約を個人が応えることで神がそれに応えるようにその個人に最大限の幸福をもたらす、という教義がありました。人間に要求される契約とは、聖書の教えを守り、倫理的に正しい生活をする、という解釈です。
しかし、人間には誰でも罪を背負っており、その罪に翻弄されることで欲望にまみれ、悪魔に取り憑かれたような生活をした結果、神との契約が破談になると考えられています。教義的には、硫黄が燃えさかる黄泉(地獄)に落ちるというわけです。
さらに、長老派では人間が神との契約が守られるためには、罪を悔い改め、正しい生活に戻ることが要求されています。それは、聖書に込められた深い意味を読み取り、それに基づいて生活すること以外にないということです。
ただし、聖書の深い意味の解読には多くの教養が必要になるのは明らかで、神学校では英語だけではなく、聖書研究のために原語であるギリシャ語やヘブライ語、ラテン語、そして古典などを学ぶ必要があります。
未だに、長老派は聖職者の存在を否定していますが、その結果、聖書の解読には必要な知識は信者自らが身につけなければなりません。そのようにして聖書を解読し、罪を悔い改めて正しい生活をすれば、神の人間との契約を守り、その人間に大いなる幸福がもたらされると信じているということです。
要するに、その幸福とは、精神的、物質的な豊かさ、つまり「富」であるということです。しかし、私には、これこそ社会矛盾であるように思います。
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