将来的には、個人を最大限に活用し、個人が情熱を追い求める企業では、リーダーシップの概念自体が「人をやる気にさせる」ことと同じ意味になると考えられます。
いわゆるベンチャー企業やスタートアップ企業など比較的新しい考え方を持つ企業に属する人々は、彼らが信じている何ものかに向かって切磋琢磨しているので、その企業がそうした信念を本当に貫き通すことができれば、人々はお互いを理解し合い、お互いに感謝し、お互いにサポートすることが簡単になるかもしれません。
なぜなら、企業理念という共通の価値観が共感の場となるしか選択肢がないからです。全ての企業にはそれぞれ動機というものがあり、その組織内のエネルギーは自然とリーダーシップを求め、独自の組織構造を作り出していくものと思われます。
いずれにしても、これを一般化するのは難しいことですが、本当のリーダーとは、もはやマネージャーの役割を果たすことではなく、働く仕組みと人をどのように結びつけるのかを考え出すことのできる人材になりつつあります。
これまでのように職位や権限を威圧的にちらつかせているような管理型マネージャーではなく、求められているのは個人個人が持っている資質を正しく見抜き、組織理念の中でその資質がどのように役に立つのか本人に気付かせるように指導するメンターであって、企業全体の目標に向けて自発的にモチベーションを高めさせる人材です。
今現在、これを実現している企業は非常に少ないわけであって、実際に今行われているのは、企業のトップと人材コンサルタント会社が自己実現という用語を繰り出し、自分の人生目標と組織の共通目標とを一線上に置いてモチベーションを高めようとしているだけです。
しかし、このマネジメントは虚構であることがすでに人々にバレてしまったため、雇用される側のサラリーマンは、自分の労働価値を時間で計るようになってしまっています。彼らの本当の不満は、非正規雇用が増えたことではなく、時給換算で自分の労働価値が思っていたよりも低く見積もられていることです。
今後、高いスキルを持った非正規雇用が増えれば増えるほど、企業側もそうした非正規雇用でなければビジネスが回っていかないと悟って、質の高い人材に対するニーズが高まれば高まるほど、今後、管理型マネージャーはリストラの対象になっていくものと思われます。
今、企業のトップたちは、今後どのように転換が起こっていくのかを検討しており、労働者自体がが、「なぜ働くのか?」、「どこで、いつ、どのように働くのか?」について、今までの概念をひっくり返すような再定義の下で、労働市場に何らかの革命を起こそうとしているというわけです。
このようにお節介な経営者たちがどこにでもいるわけですが、それこそ中間管理職よりもっと厄介な存在になることは間違いでしょう。
さて、世界中がデジタル化に進む中、ヒトは本当にAI(人工知能)ロボットの選択肢よりも効率的で的確な判断ができるようになるのでしょうか?ヒトは進化するAIと歩調を合わせることでコンピューターでは解決できない問題を発見し、創造的な解決策を見つけることができるようになるのでしょうか?
そもそもヒトの潜在能力は、職場環境で育てられているわけではなく、個人の能力を最大限に引き出すための継続的な努力から成長していることがわかってきています。そのため、今後は勤務日や勤務時間、昇給や昇進方法、退職の概念など今ある職場構造の多くは劇的に変化していくはずです。
いずれにしても、海外の子どもたちは日本の子どもほどスマホに依存していないようです。しかし、このままさらにデジタル化がさらに進んでいくとなれば、ヒトはより人らしくあるためには何をすべきかを真剣に考えるようになって、AIとのバランスを取るようになるかもしれません。
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