たった4日間のアメリカ東海岸滞在から日本に戻ってきて感じたことは、アメリカは生活や旅行にも不便であるということです。正しくは、日本が世界で最も生活するのに便利であるということかもしれません。
通常、海外ではレンタカー屋では予約した車種を与えられず、電車は時間通りに来ず、物価は高く、コンビニにトイレはありません。さらにスーパーの野菜の質は低く、あらゆるサービスの窓口の対応は日本と比べると最悪です。
ところが、不思議なことに私は日本よりアメリカの方が「生きやすい」と感じています。具体的に言えば、生活するだけなら日本がいいですが、生命としての自分を置いておきたいのはアメリカであるということです。
アメリカに限らず、日本以外のどこに行っても不便なのはあまり変わりないように思います。むしろ日本が便利すぎると言うべきかもしれません。多くの日本人が外国に行き、日本へ戻るや否や、内心ホッとするというのも頷ける話です。
先進国であるアメリカやヨーロッパがどのくらい不便かと言えば、例えば、何十回も電話をかけてようやくコールセンターとつながったと思ったら次々とたらい回しにされたり、何でも答えてくれないことが多くあります。
それは、私が日本に慣れてしまったからなのですが、日本の接客サービスに慣れてくると日常での期待値が異常に高くなり、その期待に応えてもらえないとイライラしてしまうことがたまにあります。しかし、ほとんどの労働者は何とかその期待に応えながら回っているというのが現実です。
当然、大企業のNTTやインターネット・プロバイダーなども電話で30分以上も待たされることがあることから、一概には言えないところもあります。しかも要点をなかなか絞れないような会話をしてくることもあり、トラブルになることもしばしばです。
実際、私は日本の便利さをよく思っているかというと、案外そうでもないわけです。なぜなら、アメリカの方(西海岸)が気楽に暮らすことができ、がっかりすることが少ないからです。
結局、期待するとたいていの場合はがっかりすることになるわけです。そして、期待通りにいってもそれが当然のように思ってしまいます。逆に期待通りにいかなければ否定するという我がままな気持ちになりがちです。
その点、アメリカでは最初から他者に期待することはまずありません。というよりも、期待などできない社会システムなので、結果的にうまくいかなくてもある程度妥協し、うまくいけば相手に感謝を伝えるだけです。
日本では店員の対応が悪かったり、システム上面倒な手続きが必要だとすぐに腹を立てますが、アメリカでは寛大な気持ちになるしかありません。というよりも、一刻も早く諦めることが肝心であって、そのうちクレームを言う気もなくなってくるものです。
要するに、他者に期待しないことでがっかりしない自分を保ち、いいことが起こると満足する、という生き方をすることで意外に心は穏やかでいられるということです。そして、他者に期待しないということは、他者からも期待されないということになります。
このように、何事にもきっちりとする必要はない代わりに、他者もきっちりとは対応してくれないからこそ、日本のように「自分は悪くない」と一方的に他者のせいにしたりすることはあまり見られません。つまり、ある意味、不便な方が生きやすいこともあるということです。
便利であるだけなら、日本が世界で最も住みやすい国なのは事実です。しかし、それは常にきっちりしなければならないことと表裏一体であって、かえって不便な方が生きやすい場合もあります。
それは多くのアメリカにいる日本人留学生や駐在者、移住者が語る「生きやすさ」であると思われます。長年暮らした東京を離れ、田舎暮らしを選ぶ方もある意味似たような気持ちなのかもしれません。
日本のように何事にもきっちりした国が好きな方もいますが、そういうところでは窮屈に感じる方もいます。今後は、自分に合う場所で暮らすことで生きやすくなるということにつながっていくことになりそうです。
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