イギリから清教徒(ピューリタン)が自由を求めて移り住んだ古き良きアメリカが変わったのは、南北戦争の時代からです。1861年から1865年にかけてアメリカ合衆国の北部諸州とアメリカ連合国を称した南部諸州との間で行われた内戦が起こりました。
南北戦争の後、独立運動100年を記念に自由の女神像がフランスから贈呈され、1886年に完成しました。自由の女神像の左足には鎖が巻かれています。台座の記念盤には、「この地にて1884年8月5日、世界を照らす自由の女神の像の台座の礎石は、ニューヨーク州メイソン団のグランド・マスター、ウィリアム・A・ブロディーによる式典とともに設置された。グランド・ロッジの構成員ら、合衆国およびフランスの政府の代表ら、陸軍および海軍の将校ら、諸外国の使節団の構成員ら、ならびに名高い市民らが参列した。この銘盤は、かの歴史的事件の第100周年を記念してニューヨークのメイソン団により捧げられる」と書かれています。
実際に、フリーメイソンはヨーロッパではなく、中国が発祥と言われています。中国の創世神話の男神・伏羲(ふっき)と女神・女カ(じょか)の図にはコンパスや定規が共に描かれており、それは秘密結社・紅幇(ほんぱん)のマークであり、現在はドイツ銀行を経営している組織です。
つまり、1880年代の時点ではアメリカはアジアの国でしたが、欧米人たちは金融政策によって新生アメリカに浸透していきました。こうして東アジアと欧米のリーダーたちがアメリカの支配を巡って対立を深めていったというわけです。
そして、ようやく転換期を迎えるのは20世紀に入ってからでした。この2つの勢力のリーダーたちは地球温暖化を終え、21世紀に入ると逆に寒冷化を迎えることに気づいたようです。そして、互いに仲の悪い2つの勢力は生き残るための利害を一致させ、共闘を模索し始めました。
それが具体的に動き始めたのは、第一次、二次世界大戦の頃です。つまり、寒冷化が始まる直前まではできるだけ世界経済を拡張させる政策を各国に指示し、グローバル化を推進させていきました。
この2つの勢力が共通の目的を果たすために選ばれたのが、アメリカであったということです。イギリスに代わる新しい覇権国としてアメリカが選ばれ、右肩上がりの経済を実現する牽引役として、軍事的な意味での世界の警察とされました。
アメリカの最大の役割は、金融・軍事・社会などのあらゆる面で世界に対してマスメディアを使って波風を立て、ボラテリティー(乱高下)を維持することであったわけです。アメリカの覇権が強まったのは、1945年のブレトン・ウッズ協定の時からでした。
一般的に、ブレトン・ウッズ協定とは、1945年発効した国際金融協定のことで、2度の世界大戦で疲弊・混乱した世界経済を安定化させることを目的としていました。「金1オンス=35ドル」と米ドルの価値を決定することで、米ドルと他国通貨の交換比率を固定化し世界経済を安定させる仕組みのことだとされています。
ところが、この解釈は間違いであって、実際に協定を取り仕切ったのは欧米のリーダーではありましたが、協定の締結後に会議を取り仕切ったのは当時の中華民国の銀行家たち、つまり華僑(客家集団)たちであったということです。
その会議の詳細な記録は台湾に保管されており、現在まで公開されておりません。要するに、東アジアのリーダーである華僑(客家集団)がアメリカに対して膨大な資産を注入した可能性があります。
華僑が実質的なアメリカのスポンサーとなり、欧州の王族がその資産を運用するという、現在のアメリカの体制はこの時にできあがったということになります。ちなみに、アメリカの大手銀行シティバンクを創業したのは宋三姉妹の一人、宋美齡です。
中華民国の指導者・蒋介石の妻で、中国国民党中央委員であった彼女は、政治的基盤の弱体化を予想し、中華民国を去り、ニューヨーク州のロングアイランドの広大な屋敷に居を構えました。つまり、蒋介石も宋美齡は明らかに華僑出身であることが分かります。
実際に、現在の日本も半分は欧州の王族、半分は皇室が治める国ですが、アメリカも日本と同じく複雑な生い立ちにあるようです。ですから、「アメリカと中国が覇権争い」などと報道を聞いても本気ではないことが分かるはずです。
今後、近いうちになぜ安倍政権が外国人労働者を5年間で35万人も受け入れようとするのか、そして、アメリカに代わって日本が世界覇権を持つようになることについても書いていく予定です。
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