アメリカの自動車が世界中で全く売れないのは、優秀な若者が自動車業界ではなく、飛行機やロケットなどの軍需産業やAI(人工知能)、ロボット産業に集まっているからです。
これに対して、日本は戦争に負けたおかげで、1950年代には平和産業に特化することができ、自動車や半導体など工業を中心とした産業に国内最高の頭脳が集まりました。トヨタやNTT、NEC、東芝などに優秀な若者が集まったのは、敗戦によって行き場を失った技術者たちでした。
だから、日本製品が世界中で使われるようになったわけです。ところが、20年前から1億人ほどの人口しかなく、外国人移民に親和的でないことから、他国と比べても優秀な若者の絶対数が少なくなりつつあります。
特に、1980年代頃からの教育体制の失敗、つまり小学校6年、中学校3年、高校3年という制度は、日本のエリート教育を破壊する原因であることが判明しています。その結果、日本人のほとんどが前例踏襲のサラリーマン根性の持ち主になってしまいました。
だからこそ、2020年までに前倒しで教育体制を小学校から変える必要があると思うわけです。確かな未来を開いてくれる子どもをできるだけ多く育て、能力が高そうな子どもを引っ張り上げ、脳の流動性を上げる必要があります。
実際に、世界中で能力が高い子どもが世界中で生まれつつあり、脳が進化し出していることは明らかです。一方、日本では能力が高い子どもに変換するプロセスが教育制度によって完全に断たれているように思います。
むしろ大量の落ちこぼれが出ている一面があり、ますます優秀な日本人の子どもはアメリカに流出していくしかありません。私が知る限り、今の日本の教育体制では教科書など1週間程度で全て読んでしまう子どももいます。
結局、日本の義務教育に対して、退屈してしまう子どもをほっといているようでは脳が進化している子どもというのは、これ以上この国には居られなくなり、「アメリカへ行くか」、「引きこもりになる」しか選択肢がないということになります。
今のところ、日本の国家戦略である子どもを増やすのであれば、能力が高い子どもを今までにないような専門性の高い教育によって引っ張り上げるしかないように思います。
さて、話は変わりますが、単なる仮想通貨であるビットコインの実験は、ついに終焉を迎えつつあります。そして、いよいよセキュリティーという欠点を克服した「暗号通貨」と「ブロックチェーン化」が進んでいくことになるわけです。
暗号通貨の最大の特徴は、通貨に自動制御機能をインストールすることができるということです。例えば、通貨が一定期間使われないと目減りする機能を持たせたり、指定の施設に寄付をすることで自分の元に戻ってきたときには増えるような仕組みです。
つまり、仏教やキリスト教、イスラム教の真髄である善意概念を通貨システムにインストールすることで、経済的に割の合わない社会事業(保育、介護、医療など)が税金に頼ることなく運営できるようになるというわけです。
実際に、人々の自発的な善意が経済を潤していくことは可能であり、イスラム諸国ではそれによって天国へ行けるという解釈がなされています。これに対して、欧米諸国や日本などでは、この種の信仰は科学が席巻してしまっているためにもはや不可能です。
理論上、完全にセキュリティーを克服した暗号通貨となれば、人々は善意があればあるほど金持ちになれるようになり、これまでのようにビジネスや投資などお金で無理をすることがなくなります。
今現在は、法律の隙間をうまくかいくぐった人間や、合法的な税金泥棒や税金滞納者など、政治家や官僚、グローバル企業と提携した日本の大企業の社員に富が集まっているだけです。
つまり、悪意概念が通貨システム(中央銀行)にインストールされているわけですが、これを本来の善意概念である欲と善意の両立型経済にしていくべきです。もはや人々を道徳や法律で強いなくとも、善人は善人になることが通貨のプログラム化によって可能になるということです。
そもそも、通貨の本来の機能というのは、私たち人類が生きるためのエネルギーを効率的に回すことであるわけですが、実際にはお金を借りたり、ヘソクリをつくらないと機能することはありません。
結局、表(政府主導)の経済では税金を取り過ぎるため、裏(国体主導)の経済が必要になるわけであって、それには簿外資産が必要になるということです。これまでの卒業証書や借用証書などはいくらでも誤魔化し放題であったわけです。
ところが、ブロックチェーンによってどこまでも流通経路が保存されるようになれば、犯罪を犯してもそれを何とか誤魔化す意欲を失わさせることができるようになります。
最近、あおり運転が話題になりましたが、これがブロックチェーンがインストールされた自動運転自動車になれば、暴走行為や不法行為、妨害走行、違法駐車などが一気になくなります。
それよりも、自分自身の脳をもっとマシなことに使えることができるようになることで、私たち人類が生きるためのエネルギーをさらに効率的に回すことができるようになるはずです。そして、社会構造をもう少しマトモなものにできるということです。
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