いよいよお盆の季節がやってきますが、今一度Atlasマンツーマン英会話としての運営理念をここで書いておきたいと思います。
私自身、10年ぶりに日本に帰国した2000年にAtlasマンツーマン英会話を創業したわけですが、スタートして気づいたことはスクール(店舗)を運営するとヒト、そしてモノが自然と集まり、そして余っていくということです。
なぜなら、英語を習いたい生徒さんが増えてくると、次々と旅行先で買ったお土産などを持って来られるからです。当初は小さなアパートの一室を借りて教室にしていたわけですが、教室内にいただいたお土産が常にテーブルの上に置いてあったのを覚えています。
そうして生徒さんは誰が持ってきたかもわからないお菓子をシェアしながら英会話のレッスンを受けていらっしゃいました。お菓子だけではなく、近所で採れた果物や野菜を置いていく方もいました。さらに、使わなくなった家具や電化製品を置いていく方もおられました。
1980年代までの昭和の時代などはそのような雰囲気であったわけですが、夕飯の時にはなぜか近所の子どもや友達も紛れてて一緒に食べたりしていたように、とにかく現在とは大きく異なる大らかな時代はあったということです。
しかし、現代ではそれが徐々に核家族化していき、大らかな雰囲気は一部を残して完全に消えていってしまいました。お母さんは、子供の面倒を見つつもパート勤めをするようになり、子どもを保育園に預るようになりました。そうして保育園の数が足りないという問題が起きたというわけです。
昭和の時代は、近所の家に転がり込んで遊んでいたのが普通であって、そこの家のお母さんも子どもたちをほったらかしにしていました。さらに、家の近所には子どもたちの遊び場があって、そこには暇な大人が適当に相手をしていました。
それが現代の公園のほとんどでボール遊びが禁止にされています。その理由として、各自治体では老人から数件のクレームが来たからと言うのです。しかもその老人たちが怪我をしたわけでもなく、ただ子どもたちの声が騒がしい、という本当の理由が分かってきました。
むしろご老人たちに対して公園使用禁止にしなければならないほど子どもたちにとっては社会的に育ちにくい環境がつくられているということです。それまで子どもに対する虐待などそれほど聞くこともありませんでしたが、今は親自身が大きなストレスを溜めており、限界に来ていることから虐待が起きているわけです。
このような現代の社会構造をマクロで見ていくと、明らかに私たちは分断され、統治されていることが分かります。この仕組みはかなり単純につくられていますが、この社会構造の枠組みを考えた側は細部までコントロールできていないようです。
実際に、国民を統治するには大きく分けて2つの方法があります。一つ目は、私たち庶民を分断し、いつまでも争わせておくことで私たちがお互いに監視し合いながら攻撃することで統治をスムーズに行うという方法です。
そして二つ目は、同僚や近所に住む方と比較させて付加価値をつくっていくという方法です。隣に住む住人が新築を立てれば自尊心をくすぐられ、借金をしてまで長期の住宅ローンを組んだり、自分の子どもをほっといてまで残業をすることになっています。
人間の最も弱い部分を刺激され、お互いに競争させられることで、人生で大事なことをすっかり忘れさられてしまい、徹底的に核家族化され、テレビをつければだ企業のCMで無駄な商品を買わされ、マスメディアのフェイクニュースによって情報の管理をさせられているわけです。
日本は1980年代までは大家族制度でしたが、この30年の間に分断され、必要な場所ほど人手が足りないという現象が起きています。そもそもヒトやモノが足りないわけがなく、街に行けばこれまでもかと商品で溢れています。
今度は、人手が足りないということで外国人を移民させるという法案が出てきていることからも、さらに日本を崩壊に導くことになりつつあります。すでに多くの日本人は、忙しいだけで幸せではないことが誰の目にも明らかになってきています。だから、インターネット上では言葉狩りが流行り、魔女狩りが行われています。
昭和の時代、テレビを見ていてもドリフターズのような単純なコントを見ながら笑っていたことを思い出します。私はまだ日本にいましたが、1970年代の方が現代よりずっと幸せであったのは明らかです。
実際、私自身が長年生活していたアメリカを自分の意思で去り、日本に帰国し、Atlasマンツーマン英会話を創業したのも、このような核家族化・グローバル化の流れに少しでも抵抗したかったのが理由の一つであったわけです。
少しでも昭和の世界観を取り戻したいという想いからスタートしたわけですが、今もその思いは間違ってないと考えています。そして、誰もが心の中にある違和感や心の底に持っている想いなど、いつかまた取り戻すことになるものと予感しています。
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