1994年、ミス春香出身として芸能界にデビューしたユン・ソナは『ソナ』の名でアルバムをリリースした。彼女の多才なエンターテイナーとしての資質は多くの人たちに強烈な印象を与えた。
良い兆し。歌謡界の新しい妖精となって二重生活を始めたタレント、ユン・ソナ(32)。歌手に生まれ変わるために芸名をソナにして、彼女はデビュー曲<非人>で好評を得ている。可愛い姿に負けない声、またいわゆる「タレント出身歌手の限界」というのを超越している。 タイトル曲 <非人>は、離別の悲しみを耐えるという内容を込めたマイナーバラード曲。バラード音楽特有の濃厚な感じと余韻が楽しめる。< 非人>は現在、各種人気チャートで急上昇中である。少なくないアルバム販売量も彼女の人気を立証する。発表して半月で3万枚のアルバムが売れ、一日の注文量も相当だ。
ソナのアルバムにはバラードとダンスが混ざって入っている。12曲の収録曲中、ソナは唯一 <共にいます>に愛着がある。キム・ジス、ウォン・ビン、チョン・ジュン、パク・ヨンファ、キム・ヒョンジョンなど、普段親密が深い同僚らが共に歌を歌ってくれ、リク・ユンはナレーションをしてくれた。
芸能人のプロフィールを見るときは、コンプレックスやジンクス分に目がいく。弱点を知りたい。悪趣味なのではなく、普通の人より特別だという芸能人は一体何を悩んでいるか、またどうやってそれに打ち勝ってスターになっているのか気になるのだ。
ユン・ソナ(32)のプロフィールを見てみると、コンプレックスは「少し背が低い」ようで、ジンクスは「爪が折れると良くない事がおこる」と書いてあった。背が低い?言われてみればそうかもしれない。で、ユン・ソナの長所は何だろうと考えた。同じ年頃の俳優の中では演技力がしっかりしていることは既に定評だ。ユン・ソナの長所はといえば、正直で堂々とした性格だろう。そして仕事に対する執着と負けん気のようなものを付け加えることができる。2000年6月から日本で2ヶ月半の間で撮影したNHK10部作のミニシリーズ「もう一度キス」が、2001年1月9日から日本列島全域に放送された。ユン・ソナはそれ以後にも、フジテレビのドラマで主演で出演して、日本での人気が急上昇した。日本のドラマに出演する前のインタビューでユン・ソナはこういう言葉から話し始めた。『私たち(韓国の俳優)は、運さえ良ければデビューするやいなやドラマの主・助演になるじゃないですか。ところが日本は最低何年間かトレーニングした後に出演するんですよ。軽く見ていい市場ではないですよ。』「もう一度キス」が放映を始めた後からユン・ソナへの反応が良くなり、日本の独立プロダクションから出演依頼が続けて入った。ユン・ソナが昨年日本に行った時に知っている日本語といえば「ありがとう」や「お元気ですか」程度だった。ところが今は大抵の意思疎通は問題がない。日本で生活する時も、韓国に帰ってきても日本語の勉強を怠らないためだ。ユン・ソナのたいした面でもある。実際これくらいの根気と執念がなければ、芸能界で成功を期待することは難しい。して見るとユン・ソナのプロフィール中の「常に明るく生きよう」は座右の銘とも取れる。楽観的でありながら力強く世の中を渡っていく「少し背の低い」ユン・ソナを大きく見せる。
2001年以後、ユン・ソナは日本と韓国を往来しながら旺盛に活動してきた。2006年には結婚して、多くの男性ファンを残念からせた。2007年には8年ぶりに韓国ドラマ『恋人よ』に出演して好評を得た。
■KBS『風は吹いても』
印刷所の工場長の父は弟、母と一緒に暮らす大家族の家長だ。大家族なだけに家で風の無い日は無いけれど、問題を解決していく温かい家族の話。
■MBCテレビ『僕たちは本当に愛し合ったのか』(44部作)
このドラマは野望に陥ったある若者が、その野望を成就していく過程で様々な迂余曲折を体験するストーリー。本当に愛する女性にも出会い、また自らの野望のために女性を利用してしまうが、真の愛の価値を悟って、それを求めて行くことになり、不幸が訪れるようになる。結局自分に押し寄せた不幸によって、今まで自分が嫌い憎悪した人生のあらゆる部分に対して理解し、愛を悟るようになるという内容です。このドラマでのユン・ソナの役割は主人公のジェホ(ペ・ユンジュン)の野望のために必要な女性、ヒョンスとして熱演しています。
■KBS2テレビ月火ドラマ「雪花」(2000)-16部作
「雪花」はフュージョンレストランで起こる若者の愛と仕事が主要素材。徐々に視力をなくしていくユンソナが、キム・サンギョンを相手に繰広げるロマンスを展開する。彼女を同時に愛するパク・ヨンハとキム・サンギョン、そしてキム・サンギョンとユン・ソナの間に割り込むチェ・ジョンアンの三角関係が主な葛藤の枠組だ。ユンソナの役割はドラマの舞台であるフュージョンレストランのキッチン補佐役。演技のために「包丁使い」も習った。『タタタタッ』という素速い手つきが並でない。父がソウル鍾路のパゴダ(pagoda)公園の近隣で「たらの刺身店」をしていることとも関係なくはない。演技のためにタオルで目隠しして物を触ったりする練習もした。 |