パク・シニャン(ParkSinYang, 박신양、朴 新陽) |
生年月日: 1968年11月1日 |
身長: 178cm, 68kg |
血液型: B型 |
趣味: 運動、ビデオ鑑賞 |
得意: スケート、器械体操、バレー |
大学卒業後、本格的な演技の勉強のためにロシア留学した彼は、大学時代短編映画作業を一緒にした友達ヤン・ユンホ監督の説得で帰国して、彼の長編映画デビュー作である『ガラス』に出演するようになる。『ガラス』は難解な内容と破格的な映像で批判が多かったが、演出力と演技力は認められて、映画を作った監督ヤン・ユンホと俳優パク・シニャンという名前は大きく目立った。 その後、出演したドラマと映画等で知的でソフトなイメージが大きく目立ちながらメロ物に主に出演するようになったパク・シニャンは、ますますメロ俳優というイメージが固まり始めた。 しかし彼は、王子様になってほしい女心を敢然と捨てて、時には荒い、時にはコミックなイメージまで完璧に演技することで、大韓民国を代表する演技派俳優で落ち着くようになる。演技派俳優として映画界で認められていた彼は、2004年SBSドラマ『パリの恋人』の大成功でパク・シニャンシンドロームを催して大衆性まで認められた。 人気に未練がましくなく、いつも誠実な姿で自分の道を歩んでいるパク・シニャン。映画やドラマ、CFの中で見せてくれた姿は纎細な表情の貴公子スタイルだが、撮影場の外では休む暇なく運動を楽しむ万能スポーツマンだ。 演技力に定評のある俳優パク・シニャンは、作品選びに慎重を期する。自分が演じこなせるのか、ベストを尽くせるのか…雰囲気やトレンドに振り回されずに、信念で作品を選ぶのは俳優としては当然なことだろう。しかし基本が一番難しいように、最近の芸能人の流れを反映するなら、彼は真の俳優だと太鼓判を押せる。 出演する作品ごとにシンドロームを巻き起こし、彼特有の演技世界を繰りひろげるパク・シニャンは、昨年夏にシンドロームを起した『パリの恋人』以後、しばらく映画に活動の拠点を置いていた。そしてカムバックした作品がドラマ『銭の戦争』。“映画はよくてもドラマはダメだ(視聴率低調)”という雰囲気から、トップスターでもドラマカムバックをためらうため、彼の復帰は多くの視聴者に注目された。再び視聴率神話をかなえられるのか…そして彼はかなえている。視聴率10パーセントが普通の最近の韓国ドラマ市場で再びホームランを打ち、視聴率30パーセントを上回るビックヒットドラマを生み出しているのである。 「やはりパク・シニャンだ」と賛辞を送られても、決して動揺せずに謙遜することを知っているパク・シニャンこそ、韓国国民が愛する1人の“俳優”ではないだろうか。トレンドを追うのに精一杯のスターとは画然とした開きのある彼。撮影がある公式日程を除いていっさい表に姿を現さず、生活管理を徹底している。
2009年、未払い出演料の支払い訴訟には勝訴したが、パク・シニャンのドラマ出演復帰は、勝訴から2年後の2011年 SBS 『サイン』まで待たねばならなかった。 また、訴訟に勝利した2009年に、パク・シニャンは自身の名を冠した「パクシニャンFUN奨学会」を立ち上げ、後進の育成にも力を入れている。 |
ドラマ |
2019年 KBS 『街の弁護士チョ・ドゥルホ2:罪と罰』 2016年 KBS 『街の弁護士チョ・ドゥルホ』 2011年 SBS 『サイン』 2008年 SBS 『風の絵師』 2007年 SBS 『銭の戦争』 2004年 SBS 『パリの恋人』 1998年 SBS 『私の心を奪って見て』 1996年 MBC 『愛したら、りんごの花の香り』 |
映画 |
2012年『結界の男』 2007年 『まばゆい日に』 、『達磨よ、ソウルへ行こう』 2004年 『犯罪の再構成』 2003年 『4人用食卓』 2001年 『インディアンサマー』、『達磨さんと遊ぼう(達磨よ遊ぼう)』 2000年 『キリマンジャロ』 1999年 『ホワイトバレンタイン』 1998年 『約束』 1997年 『プワゾン(poison)』、『モ-テルサボテン』、『手紙』 1996年 『ガラス』 |