チャン・ヒョク(JangHyuk, ??)

チャン・ヒョク(JangHyuk, ??)
本 名:ジョン・ヨンジュン
生年月日 : 1976年12月20日
身 長 : 177cm & 体 重 : 63kg
趣 味 : 自作シナリオ創作、映画鑑賞
特 技 : 器械体操、運動

チャン・ヒョクは今やもう期待株という修飾語の付きまとう俳優ではない。
映画とTV両方で彼は確実に自分だけの演技の色を持ったスターとして評価を受けている。
テレビドラマでとても人気が高かったSBSの水木ミニシリーズ『明朗少女成功記』を見ると彼が99年KBS2TV『学校』の時の反抗児からどんなに変わったのか簡単に知ることができる。
このような変身は彼が天賦的に生れついた俳優ではなく、後天的に努力する過程で得た結実だからもっと貴いと思う。
 チャン・ヒョクは2000年初にSBSの週末ドラマ『ワンヌン一家』に出演して以来、少しも演技を休んだ事がない。
ドラマは勿論映画、ミュージックビデオ、あげくにラッパーにまで変身してアルバムまで出した。
「アルバムを出したのも僕が歌手として成功したくてではなく、今までの中途半端なタフガイの枠から外れて多様な演技の幅を持つための一種の訓練だったんです」仕事に対する彼の度が過ぎるほどの誠実さは普段の生活でもよく現われている。
いつだったか所属事務所が、チャン・ヒョクが撮影で忙しいけれど特別に時間を作ってあげたが、翌日すぐ現場に帰ったという一話がある。
だからといってチャン・ヒョクが余裕や融通性のない堅苦しい性格だったり仕事中毒だというわけではない。
ちょっと長く付き合ってみるとのろくてどもったような話し方で彼がどれほど相手を笑わせる「物足りないユーモア」の大家であるかが分かる。
 休まず活動を続けて来たチャン・ヒョクに、大きな危機が訪れた。
2004年兵役不正に関連したことだ。
活発に活動していたので、彼にとって軍入隊は大きな障害物であったはずだ。
兵役不正の問題が多かったその年、多くの芸能人たちと一緒に兵役逃れが明かされて、すべての活動を中断して、突然現役入隊した。
高い人気を得ていたところ、不正問題で2年間芸能界を去らなければならないことは、彼に多くの傷と試練を与えたと考えられる。
 しかしこの傷のため、彼は多くの時間、思索することができ、演技に対する考えをもう少し真剣にできた。
その辛く苦しい時間を経て、立ち上がったためだろう。
彼は除隊後、一番成功的に復帰した芸能人になった。
2006年11月除隊したチャン・ヒョクは、2007年MBC『ありがとうございます』で復帰、視聴率はあまり高くはなかったが感動と愛のヒューマニズムが描かれたドラマで、好評を博し賞も受賞した。
世間知らずのシングルマザーとエイズかかった子供を、医者と同時に家族の目で見守ったチャン・ヒョクの好演は、拍手喝采を受けた。
 チャン・ヒョクは相変らず忙しい。
広く世界市場を見つめ、2008年『ダンス・オブ・ザ・ドラゴン』を撮影中で、2008年ドラマ『不汗党』でも忙しい。
その渦中に“できちゃった婚”も発表、ファンを驚かせたが、彼が家庭の家長となる姿も期待されるのは事実だ。
 チャン・ヒョクの変化はまだ現在進行形だ。
俳優としては自ら語る通り多くの弱点を持っている。
しかしチャン・ヒョクが99年に顔を知られるようになってから今まで停滞せずにずっと発展して来たことを思えば、今まで見てきた姿よりこれから見せてくれる姿がもっと多いことが期待される。

ドラマ
2011年 SBS『マイダス』 、SBS 『根の深い木』
2010年 KBS『推奴(チュノ)』
2008年 SBS 『不汗党』、SBS『いかさま師』
2007年 SBS 『ありがとうございます』
2002年 SBS 『明朗少女成功記』、SBS 『大望』
2000年 SBS 『ワンヌンの大地』
1999年 KBS 『学校』
1998年 SBS 『好き好き』
1997年 SBS 『モデル』

映画
2009年 『オガムド』
2008年 海外進出作『ダンス・オブ・ザ・ドラゴン』』準備中
2004年 「Sダイアリー」、 「僕の彼女を紹介します」
2003年「英語完全征服」
2002年「ジャングル・ジュース」、「トイレ、どこですか?」
2001年「火山高」
1998年「チャン」
おかげさまで創業20周年 おかげさまで創業20周年