3. 韓国が身近になった理由

イ・ヨンエ主演の「宮廷女官チャングムの誓い」人気の理由

2005年からは韓流ブームの影響で、日本のテレビでも韓国ドラマが地上波でも見られる機会が非常に多くなった。

フジテレビでは、「天国の階段」「悲しき恋歌」を放送した。日本テレビでも「パパ」や「パリの恋人」などを放送。その他、ケーブルテレビのスカイパーフェクトTVでも専門的に韓国ドラマを放送するチャンネルが増えた。

また、ツタヤやゲオなどのビデオレンタルショップを通して「冬のソナタ」以前の作品やかつて韓国で人気を集めたドラマを見る人も多かった。それだけ韓国ドラマが日本のお茶の間に定着したといえる。

その中で、「宮廷女官チャングムの誓い」が大きな人気を集めた。料理と健康と歴史時代劇。人間にとって特に興味がある題材を歴史ドラマの中で面白く扱ったこのドラマは、韓国では「大長今(テジャングム)」というタイトルで放送され、最高視聴率が50%を超えるほどの人気だった。

人気の秘訣はやはり、純粋にドラマの出来がよかったからだが、人間がきちんと描かれていたので、韓国の歴史がわからない日本人でも楽しむことができたのである。

要するに、ドラマの完成度が高ければ、その時代背景を知らなくても大丈夫だったというわけだ。しかも、「チャングム」はただのラブロマンスではなかったから、男性も入り込みやすかった。

このドラマは幼くして宮廷に入った女性の成長物語。そのチャングムを演じた主役のイ・ヨンエは本当に適役だったと思う。彼女は10代後半で芸能界デビュー。当時は「酸素のような女性」のキャッチフレーズで人気があったが、20代後半からは正統派美人女優で演技もうまいと好評だった。

一番気に入ったシーンは、チャングムとハン尚宮との師弟愛育まれていくシーンで、視聴者の関心を集めたといってもいい。最近の日本では「先生」が尊敬されにくくなってきて、師弟愛を描くドラマも少ないが、「チャングム」では、けなげなチャングムと慈愛に満ちたハン尚宮という師弟関係が魅力的に描かれていた。

この両者の絆は固く、その信頼関係は見ていてうらやましいほどだった。さまざまな要素を考えても、「チャングム」は堂々たる作りで、これが大河ドラマだという感じ。歴史的な朝鮮宮廷を舞台にしてあれだけ壮大なドラマを制作できるのだから、韓国のドラマ作りは確かにすばらしい。

韓流エキスポでの出来事

2006年末、韓国の済州島の国際コンベンションセンターで、「韓流エキスポ・イン・アジア」が開催された。

その開幕セレモニーに、このイベントの広報大使を務めたペ・ヨンジュンも出席した。「太王四神記(テワンシンギ)の撮影中だったため長髪だったが、ファンから熱い歓声を浴びていた。

彼が韓国で公の場に姿を見せたのは、2005年9月の「四月の雪」の公開時の舞台挨拶以来で、1年2カ月ぶりのことであった。

注目度が高すぎたため、開幕セレモニーでは多少混乱があった。ペ・ヨンジュンが登場する位置が事前の発表と違っていたために、カメラマンがあわてて彼がいる方向に殺到し、何人かが転倒したのだ。中にはレンズを壊してしまったカメラマンもいたそうだ。

こんな騒動が起きるのも、ペ・ヨンジュンの写真をいいアングルで撮影したいためである。ペ・ヨンジュンが公式の場に姿を現すというのは、それほど大きなことなのである。

壇上に上がって済州島知事たちと一緒にテープカット役を務めたペ・ヨンジュンは、その場で公式なコメントを発しなかったが、観客の歓喜の声に笑顔で手を振って応えていた。

「こんにちは。ペ・ヨンジュンです。久しぶりに皆様にご挨拶を申し上げます。お元気でしたか。韓国国内、そしてアジア各国から訪れてくださった方々にも感謝の気持ちをお伝えします。どうぞ、有意義な時間をお過ごしください」

その後は、観客の中で抽選に選ばれた人がペ・ヨンジュンとハグができる企画もあって、祝賀イベントは大いに盛り上がった。

会場となった国際コンベンションセンターには、韓流スターのさまざまな展示物が飾られていた。特に、ペ・ヨンジュン、ソ・ジソプ、チャン・ドンゴン、BoAなどには、専用ブースが設けられ、とっておきの映像や写真がファンを虜にしていた。

このイベントには日本から多くの人が参加する姿をみるたびに、韓流がいかに日本に定着しているかがわかる。いわば、韓流は完全に日本の中で、大衆文化の一つのジャンルを確保した瞬間だった。

李秀賢(イ・スヒョン)さんを描いた映画「あなたを忘れない」

考えてみると、韓流ブームが起きるまでに、いくつかの出来事を通して少しずつ韓国に親しみを持つ人が増えていったのは確かだ。

日韓ワールドカップ共同開催以前は日本と韓国との間でさまざまな政治的な問題が絡んでなかなか交流が進まなかったが、1998年に金大中(キム・デジュン)大統領が来日して、日本の小渕首相との間で未来志向の日韓パートナーシップが結ばれたことが大きかった。

それにより、韓国側からも歩み寄る進展があった。それ以前は、韓国では日本の大衆文化(映画や音楽など)の商品輸入が禁止されていたが、段階的に解禁されて受け入れられるようになったのだ。今では日本人のミュジーシャンや俳優の名前を知っているほどになった。

一方、日本でもアクション映画「シュリ」の大ヒット以降に韓国映画の認知度が一気に高まった。さらに、サッカーワールドカップを共同で成功させて、両国の交流がさらに進んだ。

しかも、若い女性の中では韓国旅行が定番になり、安いうえに近くて便利、また韓国料理やショッピング、エステといった若い女性が興味を示す魅力的な文化があった。

このように日本人が韓国的な文化を受け入れやすくなり、最終的に韓流ブームが起こったといえる。

しかし、その中の一つに忘れられない事故もあった。李秀賢(イ・スヒョン)さんが亡くなった


JR新大久保駅での事故である。

その李秀賢さんを描いた映画「あなたを忘れない」の特別試写会が、2007年1月に東京で行われた。その中には当然ペ・ヨンジュンのファンが多く、韓流スターがただ好きなだけではなく、自分たちに何かできることはないかと積極的に考え、李秀賢さんの慈善事業に自ら参加していたのである。

ペ・ヨンジュン自身も慈善事業に取り組んでいるが、それはファンも同じだったのだ。本当に頭が下がる。

映画を見て、改めて李秀賢さんについて書いてみたい。

2001年、JR新大久保駅で酒に酔って線路に落ちた人がいて、その人を助けようと李秀賢さんと日本人カメラマン関根史郎さんが果敢に線路に降りたが、結局三人とも帰らぬ人となってしまったのだ。

この事故は当時非常に大きくニュースなどで報道された。特に日本に来ている韓国人留学生が慣れない異国にいながら、危険にさらされている人を助けようとして自らの命を省みなかったことに、日本人も大きく心を動かされたのだ。

彼は当時、韓国の早稲田大学といわれる高麗大学の学生だった。プサン出身で、とても強い意志を持ち、いつも前向きに生きていたことがわかった。それだけに一層、前途ある青年の衝撃的な死には悲しみは尽きないが、彼が最後まで自らの信念に生きたことは間違いない。

実際、李秀賢さんによって日本人の韓国、韓国人を見る目が変わった部分は少なからずあるだろう。

そういう意味でも、一人の青年の死は大きな日韓友好の種を植えていったのである。その流れの中で、韓流ブームが生まれたといっても過言ではない。

韓流サロンコラム目次NEXT:4. 韓国ドラマ&映画スターとK-POPの時代到来 >>>