2. 韓流文化が日本人のライフスタイルを変えた

韓国ドラマ「天語の階段」の人気

「冬ソナ」が日本でマニアを増やしていた時、韓国ではすでに人気があった韓国ドラマが「天国の階段」である。

このドラマが韓国で始まったのは2003年12月で、韓国SBSの制作だ。韓国では連続ドラマは、週に2回の放送が一般的で、「天国の階段」も毎週水曜日と木曜日に2日連続して放送された。

主演は、チェ・ジウとクォン・サンウ。「冬ソナ」によって日本で知られ始めたチェ・ジウが2年ぶりにテレビドラマに復帰したというのも大きな話題となったドラマだ。

演出を担当したのは主演イ・ビョンホン「美しき日々」で評価を高めたイ・ジャンス監督だ。放送当初から視聴率30%を突破し、冬ソナの25%を超えた。その後も上昇し、ついには40%を超えている。

この「天国の階段」は、韓国ドラマの定番要素がすべて含まれていた。初恋があり、すれ違いがあり、記憶喪失があり、三角関係があり、病気があり、自己犠牲があり、別れがこれでもか、と満ちていた。

しかし、「冬ソナ」と似すぎていたという批判もインターネットの掲示板ではよく見かける。たとえ、大衆迎合だと言われようとも、徹底的に視聴者を楽しませる。そんなドラマ作りに徹するイ・ジャンス監督は違う意味で韓流を引っ張る演出家であった。

また、女優チェ・ジウについてであるが、背が高くてスタイルがいい。韓国のバービー人形とも言われるが顔はとても古風なのである。華もあるので大勢の人に囲まれても目立つ。

チェ・ジウの「冬のソナタ」ではユジン役だったが、「天国の階段」のチョンソ役も適役だった。まさに、韓流を代表する女優の貫録が垣間見える。

一方のクォン・サンウは、長身で筋肉隆々。シャキッとして凛々しい姿が印象的な若者だ。

ヨン様(ペ・ヨンジュン)について

チェ・ジウとユン・ソクホ監督が初来日したのが2004年でその後「冬のソナタ」が日本で放送された。彼女は「天国の階段」の放送が好評のうちに終了し、気分良く日本にやってきたのだった。

それから10日後に、今度はペ・ヨンジュンが初来日を果たした。その時、羽田空港に出迎えたファンの数は約6,000人だったという。一番印象的だったのは、大歓迎を受けたペ・ヨンジュンが胸に当てて感激を表わした姿だった。

テレビというのは人間が隠そうとする本性をはぎとる、もしくはストレスの持っていき場所として存在しているところがある。テレビを見ている人は、自分がリラックスできる服装でテレビを見ているが、テレビに出ている俳優は緊張して自分を飾って仕事をしているのである。

視聴者は、いつもテレビを見ているので人を見る目を日頃から養っている。そうなると、テレビに出てくる俳優を一瞬にして見抜く能力を持っている。ただ、ペ・ヨンジュンに関しては、むしろ大人の女性が冷静さを失うほどテレビ画面を通してみた彼に、人間としてまた男として魅力を感じ取ったのである。その感動が「ヨン様ブーム」の起点となったのは言うまでもない。

韓流ブームが語学、音楽、ドラマ、スポーツの分野にまで波及

ペ・ヨンジュンの初来日は、韓国でも興味深く報道された。この「ヨン様」(ヨンニム)という言葉が新聞の芸能欄の見出しによく使われるようになったのである。

そして韓国人が日本で注目されるということは、韓国の人たちの自尊心を大いに満足させる効果があったのである。

日本では、韓流ブームがさらに広がりを見せた。まずは、語学。NHKの「ハングル講座」のテキストが大幅に売り上げを増し、視聴率も倍近くになった。

いくら韓国に興味を示すとしても、言葉まで覚えようというのは、今までなかったことである。韓国語を学ぶ日本人を飛躍的に増やしたいという意味で、韓流ブームはAtlasでも生徒数が3倍近くまで増加した。

また、日本から韓国に旅行する人も増えた。2004年から2005年は約30%も増加した。特に「冬のソナタ」のロケ地となった春川(チュンチョン)と南怡島(ナミソム)には大勢の日本人観光客が押し寄せ、小さな島では日本語が飛び交ったほどだ。まさに、日韓にとって歴史的な出来事が起きた。

故パク・ヨンハさんのこと

「冬のソナタ」では重要な役を演じているパク・ヨンハさんは、知名度を生かして、日本で活動していた。テレビで見た彼は、礼儀正しい好青年だった。「冬ソナ」のサンヒョク役はユジンの愛を得られなくて常にイライラが募るようなタイプだったが、実際のパク・ヨンハさんは穏やかで微笑みを絶やさなかった。

しかも、周囲の気配りがきく、育ちがいい感じの人と思わせる品の良さがあった。それだけに、サンヒョク役はかなり自分と違ったキャラクターを演じることになったというのだ。

パク・ヨンハさんは生前サンヒョクについてこのように語っていた。

「サンヒョクはとにかく頑固者で、嫉妬と包容力があるという2つの顔を持ち合わせていた。演じるのが非常に難しいキャラクターでした。執着心も、ユジンへの抑えられない愛があったからですが、演じていながらサンヒョクがもどかしくて仕方ありませんでしたね」

それを乗り越えて、パク・ヨンハさんは執念深いキャラクターを巧みに演じた。まさに、「冬ソナ」を盛り上げた立役者の一人だ。

本格的に日本進出計画を立ち上げたパク・ヨンハさんは、音楽活動を最優先された。CDアルバム「期別」は30万枚以上のセールスを記録。また、単独の写真集を出版し、好調な売れ行きを示した。それでも、彼の良さは勘違いしないところだった。あくまでも謙虚に自分の足元を見つめていた印象がある。そういう誠実さが、パク・ヨンハさんの人気を高めたのだった。

ヨンハさんの死後、日本から墓参りに来るファンは1日100人を超す日も少なくないといいます。ヨンハさんの人気を不動のものにした「冬のソナタ」は、実は別の俳優が演じる予定だった。もしこれほどの大スターになっていなければ…。

「心はいつも皆さんの近くにいます。まるで星のように」

インタビューで彼が残した言葉だが、星になるにはあまりにも早すぎる。

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